▼BC200ころ?:日本

邪馬台国(Illustration:マスダ) 歴史マニアが「ハマる」御三家と言えば、戦国・幕末モノと、そしてなんといっても邪馬台国だろう。

 邪馬台国の存在が初めて文献にあらわれるのは弥生時代後期の西暦239 年(中国では景初3年)。『魏誌東夷伝倭人条』(魏志倭人伝)(※1)によると、邪馬台国の女王卑弥呼がこの年に魏に使いを送り、奴隷10人と臈纈染めの木綿少々を朝貢。「親魏倭王」の金印をはじめ鏡や金、白絹、刀などなどなどを賜った。(これだけ文化に差があると「魏国にゃかなわん」なんて身にしみるよね。)こうして邪馬台国は、「倭」国の頭として内政的にもそのチカラを見せつけることとなり、逆に言うと「ここはいっちょ魏に使いをやるか」というくらいしか他に「日本で一番」という権威付けが思いつかなくなってたんだろう。ちなみに「倭」というのは中国側からの呼び名で当時の日本国全体のこと。

 邪馬台国の位置は「魏志倭人伝」の記述により現在では「九州説」と「畿内説」に絞られているようだ。最近ではどちらかというと「畿内説」が有力か?(邪馬台国論争)(※2)

 邪馬台国の位置がどこにあったかは正確にはわからないけれども、同じ時期、日本には邪馬台国に負けない規模の出雲(島根)や吉備(岡山)みたいないくつかの「クニ」をまとめた勢力がいくつかあったことも忘れてはいけない。

 ところで、邪馬台国の位置について、中には非常に突飛な事をいっている人も存在する。10年近く前に、考古学の学会で実際に販売されていた本の中に、『邪馬台国は静岡にあった!!』というのがあったのは、鮮明な記憶として覚えている。静岡に存在した根拠として挙げられていたのが、魏志倭人伝の中の記録にある「(邪馬台国の)気候は温暖にして…」という記述。(現在では東海地方に「狗奴国(くなこく)」(※3)があったのでは、といわれている。)「静岡の年平均気温は××℃もある!!」と本の広告のチラシに書かれていて、いくらなんでもそれは「オイオイ」って感じ…。ほかにも「邪馬台国はユダヤにあった!!」とか、トンデモ本が後を立たないのは、それだけ人気がある証拠なのかもしれない。


※1卑弥呼の項、注釈参照。
※2新しい発見(卑弥呼の項、注釈ホケノ山古墳参照)がある度にこの論争が繰り広げられるわけであるが、この論争に参加しているのは何も学者先生達だけではない。在野の「日曜歴史家」の中にも文献を読みこなし独自に研究している方達がおり、学者先生の目を開かせることもあるのである。頑張れ「日曜歴史家」!
※3狗奴国を熊襲(くまそ)とする説や諸説ありすぎて地域の特定が出来ていない。文献としては魏志倭人伝、後漢書に出てくる。