▼1884〜85

清仏戦争(Illustration:KUNIMORI) 太平天国後の同治帝の治世は『同治の中興』と呼ばれる安定期であり、自国の弱体を自覚した清ちゃんは、一生懸命富国強兵に励む。西欧科学技術を導入し、兵器工場や造船所を設立したり頑張ったのだが、あくまでも「中国の伝統的な部分は変えない」で近代化を試みたため、この改革も表面的なものに終わった。それでもこれがアヘン戦争直後に行われていれば成功したかもしれないが、すでに太平天国の乱で疲弊しきった清朝では改革は成功しなかった。
 そして、この平和も清仏戦争で幕を降ろす。
 清ちゃんが宗主権を主張していたインドシナ(ベトナムあたり)に進出したフランスとの決戦だったが、清ちゃんはあっけなく破れ去り、1885年の天津条約でベトナム宗主権を放棄した。
 はっきりいってこの後は、清ちゃんに安定などないのだった。