▼1904〜71年:「自称」天皇

三浦天皇(Illustration:KUNIMORI) 三浦天皇(三浦芳聖・みうらよしまさ)は、肉体的には南朝長慶天皇系の後胤(こういん・天皇の正室の子の意)、霊的には後醍醐天皇の第一皇子尊良(たかなが)親王の生まれ代わりを自称。そして体の中にはスメラミコトの神霊が入っている、というつもりだった。
 愛知県豊川市で「神風串呂(かんろ)講究会」を主宰。全盛期(昭和30年代)には豊橋、岡崎、半田、島田など、10数カ所に道場を持ち、200人ほどの門弟を抱えていた。神風串呂とは、地図の上に糸を張り、糸に沿った地名から、いろんなことを予言するものらしい。
 父の没後、遺言通り家の蔵の瓶を開けると、そこには『三浦皇統家系譜』が。これが、彼の思いこみ人生のスタートである。
 そののち、宮内庁の役人に皇位を要求しに行き、(やっと)自分の間違いに気づいた彼は、今度は近衛文麿のところへ行った。第二次大戦が始まり、かなり困っている文麿に、「遷都しなければ大変なことになる」と神示を伝えに行ったが、既に大変なことになっていた文麿はそんなこと言われても・・・といった気持だった。
 戦後も「再宣戦布告」を勧めたり、昭和天皇がタヌキにとりつかれていると言ったり。「皇居を移さない限りタヌキは祟る。移せば天皇家は世界人類を救済できる真の天皇家になれる!!」
 そんな彼の話を聞いてくれる人はやっぱり現れなかった。・・・祟るのがタヌキでなかったら、聞いてもらえたかもしれないのに。