▼a chronological table of kiev Russia

◆862年━━━━━
リュリク(a),シネウス,トルヴォルが、ノヴゴロド,ベロオゼロ,イズホルスクに招かれ、公になる

◆882年━━━━━
オレグがキエフを中心とする…「お前こそルシの町々の母となれ」

◆945年━━━━━
ドレヴリャネ(東スラブ連合体)の反乱,公妃オリガ(c)がドレヴリャネを生き埋めしたり焼き殺したり斬り殺したりして存分に復讐

◆977年━━━━━
ヤロポルク(g)がオレグ(h)を攻め殺し、ウラヂミル(i)は一旦海外へ逃亡

◆980年━━━━━
ウラヂミル(i)、ポロツクを攻めログネヂ(k)を妻とし、ヤロポルク(g)を殺してキエフ公となる

◆988年━━━━━
ウラヂミル(i) ビザンツ帝国皇女アンナとの結婚とひきかえにギリシア正教の洗礼を受ける

◆1015年━━━━━
ウラヂミル(i)死去.スヴャトポルク(1)が兄弟を殺しまくる

◆1016年━━━━━
ヤロスラフ(4)がスヴャトポルク(1)を撃退し、キエフ大公となる

◆1021年━━━━━
ブリャチェスラフ(11)がノヴゴロド占領.ヤロスラフと抗争開始

◆1054年━━━━━
ヤロスラフ(4)死去.コドモ達(A)〜(F)に領地を分配

◆1067年━━━━━
フセスラフ(L)のノヴゴロド占領.イジャスラフ(B),スヴャトスラフ(C),フセヴォロド(D)の策略によりキエフの牢へ投獄される

◆1068年━━━━━
異民族ポロフツィ襲来.キエフ市民による暴動.イジャスラフ(B)逃亡、フセスラフ(L)が解放されキエフ公となる

◆1069年━━━━━
フセスラフ(L)逃亡.ムスチスラフ(B1)によるキエフ市民への制裁.イジャスラフ(B)キエフ公に復帰

◆1073年━━━━━
スヴャトスラフ(C),フセヴォロド(D)がイジャスラフ(B)をキエフから追い出し、スヴャトスラフがキエフ公に

◆1077年━━━━━
フセヴォロド(D)がイジャスラフ(B)と和解.イジャスラフがキエフ公に復帰

◆1078年━━━━━
オレグ(C4)がフセヴォロド(D)を攻撃.チェルニゴフの戦でイジャスラフ(B)戦死,オレグ(C4)逃亡.フセヴォロド、キエフ公に

◆1093年━━━━━
フセヴォロド(D)死去の報により異民族ポロフツィ攻め入る

◆1094年━━━━━
オレグ(C4)がポロフツィを利用してペレヤスラヴリに戻る

◆1096年━━━━━
オレグ(C4)がムロム攻撃.ウラヂミル・モノマフ(D1)の子がオレグを攻め、勝利する

◆1097年━━━━━
諸公会議が開催され、兄弟仲良くすることを約束.にもかかわらずキエフ公スヴャトポルク(B3)とダヴィド(F1)がヴァシリコの目を潰したので、スヴャトポルクは他の兄弟から怒られて反省.ダヴィドは全然反省しないので、今度はスヴャトポルクとケンカになる

◆1100年━━━━━
ダヴィド(F1)ようやく兄弟と和解

◆1101年━━━━━
4月14日(水)昼9時、フセスラフ(L)死亡

◆1103年━━━━━
仲良くなったルシの公連合がポロフツィを攻め、勝利.


上の年表は、『ロシア原初年代記』(名古屋大学出版)に基づき、キエフ公国の起源(862年)から1109年のうち、派手な事件だけを選りすぐったものです。
この年表だけでは面白くも何ともないと思いますが、少しずつこのページが充実するにつれて、アナタもキエフ公国の虜になってくれることと…。