あの頃ワタシも若かった。が、お金がないのは今も同じ

▼The Russian Primary Chronicle

 キエフ公国の研究は『原初年代記』なくして始まらない、という基本中の基本。
 記述されている時代は852年(書いているのが修道僧なので、ノアの洪水後からハナシは始まっているけど、それは除く)〜1110年。大体8世代に渡る物語。
 当然ながら、すべての史料がそうであるように、記述の全てが完全な『史実』であるわけではない。修道僧という立場の者が書いているから、『キリスト教的正義』のために歪曲されている『史実』があったりするし、世間知らずのための全くの勘違いもある。
 そういう『偏見』や『時代背景からくる思いこみ』というものを排除して『史実』を取り出すのが研究家の作業なんだけど、これを正確にやるためには、できる限り多くの周辺史料が必要だ。同じ事件を別の立場の人物が書いたもの、同じ立場でも仲の悪い相手の書いたものや、書いた者自身を記録したもの等。そいういものを照らし合わせていくことで、あるはずの『史実』に近づいていく。これが史料批判というヤツで、歴史学の基本中の基本だ。
 しかし残念ながら、キエフ公国には周辺史料がとっっっっっても少ない。そのため原初年代記の行間を読むことに疲れた研究者が、一人また一人とキエフ公国研究を離れていくことになるのである。
 しかし、ここでは別に「完璧な史実」が欲しいわけじゃない。ただ単にキエフ公国をヤジウマ的に楽しもうという気持ちであるので、別に原初年代記一本で勝負してもよいのだ。すると、件の「人狼公フセスラフ」に絡んでおもしろい事実が出てくる。
 先に言ったように、原初年代記は修道僧の手によるものなので、キリスト教的立場から、ロシアに古くから伝わっている「魔法」などは異教としてかなり激しく糾弾されている。ところが「人狼公」に関しては《彼は母が魔法によって生んだのである》と「魔法」との関わりを明確に記述していながら、彼を異教として責める記述がほとんどない。それどころか、かなりイイ扱われ方をしている。これは何故か?
 手っ取り早く言えば、この時期、魔法使いの異教徒よりもタチの悪い悪者がいたからである。誰あろう時のキエフ大公イジャスラフだ。
 イジャスラフは修道院の扱いを巡って、かなり修道僧に悪印象を与えている。そのためイジャスラフを憎悪するようになった修道僧としては、イジャスラフの敵=修道院の味方であり、フセスラフは1068年の暴動でイジャスラフにかわってキエフ大公となる、イジャスラフの敵・第一人者なのである。
 そのため修道院はフセスラフを「修道院とキエフを守る正義」として扱いたいのだが、彼の権力が一時的(七ヶ月)なもので結局イジャスラフが戻ってくるため、完全な正義とも記しきれない。そこで仕方なくフセスラフを「魔法使い=異教徒=悪」としておきながらも、記述の中ではついフセスラフ擁護に傾いてしまっているのである。
 そこまで嫌われているイジャスラフだけど、1078年に死んだときには、まるで「聖人」のように扱われている。死んじゃえば偉人、というのはどの国でもどの時代でも一緒なんだなあと思えて、とっても楽しい部分である。


日本語訳の原初年代記
『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会 定価10,000円(1987年当時)
訳者代表 國本哲男・山口巌・中条直樹
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