▼byilina

 ブィリーナというのは、ロシアの民衆の間に伝えられてきた昔話のようなおとぎ話のようなものである。文盲の民衆の間に口伝てで伝えられたもので「歌に近い節をつけて語られる物語詩」といったカンジの英雄叙事詩と考えるといいかもしれない。
 英雄を語るブィリーナにはいろいろな共通点がある。多分語り手が大量の物語を覚えるのを簡単にするためだろうと言われているが、同じ場面や同じ言い回しが頻繁に出てくる。それら共通点の中で面白いのは、必ず『太陽公ウラジミルの治めるロシア(キエフ)』が舞台になっていること。この太陽公ウラジミルは、当然ウラジミル聖公がモデルといわれているが、決して主役にはならない。それどころか勇士を冷遇して仕返しされたり、ヒトはいいけど力はなかったり、浅ハカな口添えをしたり、あんまり「いい人」には描かれていないのである。
 むろんブィリーナが人々の間に『口承』されてきたということは、当然ながら伝言ゲームのように内容が変化したと考えるのが普通だ。ブィリーナが初めて注目されて文字として残されたのが19世紀後半であるから、かりに9世紀に発祥したと考えると実に1000年の伝言ゲームである。そのため、研究者の中には「時代を経るごとに(特にタタールの軛の時代に)ウラジミル聖公のイメージが薄れて変化したのであって、最初はちゃんとしたキエフ大公であっただろう」と考えるヒトもあるみたいだけど、これは怪しいものだとワタシは思う。
 ウラジミルを『聖公』と呼ぶのは、彼がギリシア正教に改宗したことによるものである。ということは民衆レベルでは、彼は『聖』どころか、勝手にキリスト教を導入して民衆の信仰を踏みにじった『横暴君主』と思われているかもしれないのだ。とすると、もしブィリーナが民衆の間で広がったのであれば、「ウラジミル」という名のキエフ大公が「ちょっぴり困ったちゃん」なのは、民衆がウラジミル聖公を「困ったちゃん」だと思っていたことの反映だとも捉えられるわけである。
 つまり、この1000年の伝言ゲームには、良くも悪くも「民衆のイメージ」が反映していると考えていいんじゃないかと思う。ワタシがブィリーナを好きなのは、この中には「ある程度の史実とある程度の“民衆の評価”」が含まれていると思われるからだ。『原初年代記』のような支配者階級の視点から書かれたものと、民衆の評価が含まれたと思われるブィリーナを、史実(と思われるモノ)と比べると2倍楽しめるとワタシは思うわけです。


 日本では殆ど知られていないブィリーナだけど、“イリヤ・ムウロメツ”なら知っている人がいるんじゃないかと思う。イリヤの物語は1989年に筒井康隆・文;手塚治虫・絵という豪華組み合わせで講談社から発行されているから。「詩・歌」であるブィリーナを昔話的文章に直してあるので、多少ブィリーナの味は薄れているけど、ブィリーナの世界を知ってもらうのにはいい本だと思う。ご存知ない方は、是非ご一読あれ。