紀元前12C頃、レバノン海岸付近で一生懸命商売をしていたフェニキア人には、一つ困ったことがあった。商売が上手くいくのは嬉しいんだけど、いろいろ覚えきれなくなったので記録しなくちゃならなくなってしまったのだ。 困ったフェニキア人は、結局自分達で文字を作ってしまった。子音22字の表意文字、これが現在のアルファベットの原型である。
作ってしまったと言っても、勿論その辺りに「文字がなかった」という意味ではない。
この辺で使われていたのは『楔形文字』というヤツで、生乾きの粘土板に葦の茎をあっちに向けこっちに向けつつ押しつけ、文字を作っていくという、とんでもなくのんびりしたモノだったのである。王様の功績とか祭事とか、そういう記録にはいいかも知れないけど、今入荷した商品がすぐ船に積み込まれるような『商売』では、こんな悠長な文字は使っていられなかったのである。
“世界の文字の系譜”とかいう家系図みたいなモノを見たことのある人なら判ると思うけど、現在まで続いている文字は、見事にたった2つの文字に集約される。ひとつは勿論フェニキア文字。もうひとつは甲骨文字、つまり漢字だ。
フェニキア文字は、すぐに大きく分けて2つの流れに分かれる。一方はギリシアへの道で、ここで母音が加わって現在のアルファベットにぐぐっと近づいていく。
そして、もう一方はアラム人への道であった。
フェニキア人に比べて影の薄いアラム人であるが、内陸商売を一手に引き受けたこのヒト達も、やはり『コトバ』において重要な役割を担っている。
彼らが商売をしたダマスクス付近には、あまりにもいろんな人種が集まり、コトバもみんなバラバラだった。お互いのコトバが判らないんじゃ商売ができないんで、商売の仲立ちをするアラム人のコトバが『国際商業共通語』ってことになっていったのだ。
現在の中央アジア系文字はすべてアラム文字から始まっているし、アラム語は西アジア一帯の共通語となって、キリストだってアラム語を喋っちゃったのである。たぶん。
(悲しいことに)もう随分昔のハナシになってしまったが、ワタシは大学の卒業時、トルコ周遊18日の旅をしてきた。その旅行中、日本語の勉強をしているという人物が何人も話しかけてきたのだが、それが例外なく全員『絨毯屋』なのであった。
つまり、トルコの絨毯屋は、今後の商売において日本人が重要な客になるとニラんでいて、みんな日本語を一生懸命勉強していたのである。そしてその目論見通り、流暢な日本語の判りやすい解説に魅せられたワタクシは、絨毯を買ったのであった。
要するに、交易とか商売は『コトバ』という文化を『共通語』というグローバルなモノに発展させるのだ、といってもいいんじゃないだろうか。
現在も日本のビジネスマンは、「取引先と上手にコミュニケーションをとるため」NOVAに留学しちゃっているではないか。
結局、ビジネスマンのやっていることは、根本的なところでは紀元前12世紀と何も変わっていない…って、ことかな。
ちなみにトルコで購入した羊毛絨毯は、現在も我が実家の玄関を飾っている。
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