いきなり大変失礼するが、ワタシはギリシャが嫌いだ。学生時代の卒業旅行でトルコに行ったとき、パッケージでアテネ一日がついていたので行ってきたのだが、いい思い出がひとつもない。
 アテネっ子も超ビックリという大雪の中、改修工事中で足組だらけのパルテノン神殿を見せられ、食事をすればボられ、しまいには通りすがりのギリシア人がいきなり罵りながら雪を投げつけてくる始末。
 これで好きになれる人がいようか?
 ギリシア・ポリスの最初期には、「貴族」と「平民」という身分があったが、土地を持っているという意味では、どちらも同じ自由独立市民として対等であった。そんじゃ、貴族と平民はどこが違うかというと、お貴族様達は“神々や英雄,王の子孫であるお家柄”を誇っていたのである。
 ギリシア神話の特徴のヒトツは、神々や英雄たちがとても“人間らしい”ことにある、と言われている。人間らしいと言うより人間くさいんだけど。
 浮気をして奥さんに怒られてばっかりいるのが主神なんだから、その他も推して知るべきだが、あまりの人間くささに、21世紀を迎えた現代社会でも「オレはゼウスの子孫だ」と胸を張る浮気野郎が出てきてたって不思議じゃないくらいだ。
 ということは、ポリス時代のギリシアではこういったハナシはもっと説得力を持っていただろうし、英雄の子孫達が「貴族」という名を借りて威張り散らしても仕方のない世界観というのがあったのかもしれない。
 ポリスはみんな、それぞれ「ポリスの守護神」というのを持っていた。だからどっちの神様が“より”偉いかという争いも起こったみたいだ。地中海は土地も狭くて穀物生産はできないし、いろんな意味でポリス同士の争いは絶えなかった。
 だからこそ逆に「オリンピアの祭典開催期間だけは休戦する」という決まり事が必要だったわけである。
 オリンピックが平和の祭典であるわけじゃなくて、ギリシア人がやたら喧嘩ばっかりしてただけなのだ。
 そんな争い絶えないポリスのヒトビトも、“異民族”を前にするとコロッと立場が変わる。「我らは同じ英雄ヘレンの子孫、ギリシア人である」といきなり団結しちゃうのである。
 異民族はみな「バルバロイ」としてひとくくり。これは『聞き苦しい言葉を話す連中』という意味で、現在の「barbarian:野蛮人」の語源である。失敬な。
 そんな中途半端な同胞意識なんかを後生大事に持っているから、観光にきている外国のお客様に、いきなり雪玉なんか投げつけたりするんだ。ふん。
 でも、こういう同胞意識って、ある意味で「中華思想」と言われるものとも通じるし、外国人だというだけで入居拒否するどっかの国のアパートの管理人さんなんかにも通じるわけで、結局「自分と同じなら合格」という考え方は、2000年以上も変わってないわけである。
 人間って、意外に進歩しない動物なんだなと、吹雪のパルテノン神殿の写真を見る度、思うワタシであった。