全ての道はローマに通じていると言われたくらいに大繁栄しちゃったローマも、初めはやっぱり都市国家からスタートしている。
 そんなローマはスタート直後からぶっ飛ばして、内的身分闘争と並行して、イタリア半島統一のための戦争を果敢に押し進めた。そりゃもうガンガンと激しく征服したので、正直に言うと、統一完成後も反発される可能性もかなり高かった。
 しかしながら、続けて地中海征服に乗り出そうとしているローマとしては、そんな反発に悩まされている時間はない。大敵カルタゴを前にして内乱なんぞ起こされていては、どんな結果になるか考えたくもない。
 そこでローマがとった手段が『分割統治』というシステムである。
 諸都市が手を結んで反乱することを予め予防するために、被征服地に待遇の差を儲けたのだ。
 征服地には、ローマ本国とほぼ対等の“植民市”、自治を認められ税金も免除されている“自由市”、そして軍役義務はあるのに市民権はないという冷遇された“同盟市”が設けられ、しかもこれらは互いに隣り合っていたりするのである。
 すると、どうなるか?
 同盟市は当然ながら不満が募るけれども、その気持ちはローマに対する直接の反発と言うよりも「ヤツらはいいよな」という、隣の町への『ねたみ』であり『そねみ』なのである。
 逆に植民市や自由市は、同盟市の姿を見て「ヤツらにくらべれば天国だ」という『優越心』を持ち、ローマに対する反発心は失われ、同盟市が蜂起したとしても決して彼らには同調しようとはしなくなる、という仕組みである。
 人間心理のクラ〜イ部分を見事に突いたこの作戦、ワタシは勝手に『ねたみ抑止力』と呼んでいた。といっても、そう呼んだことは人生において2回くらいしかなかったが。
 しかし、最近はこの『ねたみ抑止力』という呼び方は失敗だったかも知れないと思っている。というのは、『ねたみ』により隣に憎しみを向けるよりも、『優越心』により隣をさげすみ、自らの保身を図る方が本質ではないかと気づいてきたからだ。
 そう思うと、これは結構身近な問題である。『分割統治』のように“誰か”によって待遇の差が設けられたのではなく、自然発生的に生じた“差”が似たような状況を作ってるんじゃないだろうか。
 ちょっとばかり不満はあるけど、まああっちよりはマシだから、とりあえず反対運動とかしなくていいや…そんな気持ちでいたら、まんまとローマあたりに支配されちゃうわけだ。
 それが本当に自然発生的な“差”ならいいけど、実はどこかで誰かが作為的に『分割統治』してるんだとしたら…。そんな恐いことも考えてしまう、今日この頃であった。