▼155〜220:魏王

曹操(Illustration:国守) 字は孟徳。沛国(現在安徽省)出身。諸侯の勢力争いが激しくなっていた後漢末期、たぐいまれな政治的手腕と豊富な人材を駆使し漢の丞相となり、やがては魏王となった人。知らない人はいないであろう『三国志』※1の魏王曹操孟徳である。
 残念なことに『三国志演義』※2では完全悪者扱いの「悪巧みに長けた奴」というイメージ。しかし実際は部下を大事にし、身分に関わらず適材適所、部下のやる気を起こさせる能力主義を取り入れていったなかなか先進的な人である。
 余談だが、曹操の息子は後漢の帝位を乗っ取り、その後、曹操の懐刀だった軍師司馬懿の孫司馬炎(のちの晋の武帝)に乗っ取られた。
 さて、このいい話は官渡の戦い(200〜201)後のこと。官渡の戦いで袁紹を敗った曹操は勢いに乗って袁紹軍を追った。袁紹は官渡の戦いに敗れたショックですでに病死しており、その後の後継者争いに乗じて冀州を手に入れようと考えたのである。
 そうして南皮(河北省南平県)まで来た時、季節柄河が凍り、船が動けなくなったので、現地の人たちに氷を割らせて船を曳かせようとした。逃げた人たちに対しては「引っ捕らえて斬り殺す」よう部下に命じた。その後逃げた人たちがなぜか帰ってきた。困っている曹操を気の毒に思ったのであろうか。感動した彼は「一度、引っ捕らえて斬れ、と軍に命じてしまったのでお前達を殺さずにおいては私の命令が信頼を失ってしまう。しかし、自首してきたお前達を斬るには忍びない。山中に隠れ私の軍に見つからないように逃げなさい。」人々は寛大な処置に涙しながら去っていった。(以上『三国志演義』)
 「後、竟(つい)に捕得(ほとく)せらる」(後、最後には捕まってしまった)
 あぁ、儚きかな人生。『魏志』※3「武帝紀」の最後の一文。やはり現実はきびしィ。


※1解説:魏・呉、蜀が並立していた時代の正史
※2解説:羅貫中の書いた歴史小説。三国志正史を基に歴史上の人物をイキイキと描いた。
※3解説:三国志正史のうちの「魏書」の通称