ローマの専制君主制成立当初のキリスト教迫害は、日本の切支丹迫害も真っ青の凄まじさだったらしい。前期帝政時代のネロ帝がキリスト教を迫害したことで有名だが、後期帝政創始者のディオクレティアヌス帝が行った迫害に比べれば、鼻をほじって笑っちゃうくらいのものだったらしい。別に鼻はほじらんでもよいが。
 はたして彼は、何故そんなに躍起になってキリスト教を迫害したのか?
 実はこれ、彼なりに「軍人皇帝によって混乱しきったローマ国内を統一したい」というお心の現れなのである。要するに、彼は皇帝という“神”を中心にして、ピラミッドを作り上げた古代エジプトのように一丸となった国を作ろう、と思ったわけなのだ。
 ところが、「みなさ〜ん、今日からワタシが神ですよ」と言っているのに、頭っから「いんや、オマエさんは神さんではない」と否定する連中がいる。それがキリスト教徒であった。
 この世に神様はたった一人、ヤーヴェしかおらんのだという「唯一神」思想が問題だったわけだ。
 専制君主制とキリスト教の「唯一神思想」は、完全に対立するモノであって、迫害は永遠に続くか…と思われた313年、時の皇帝コンスタンティヌスが、あっと驚く『キリスト教公認令』を発する。
 一体なにがローマに起きたのか?
 手っ取り早く言うと、ナンにも起きてはいない。強いて言うなら、ずるがしこいコンスタンティヌスというヒトが皇帝になった、というところだろうか。
 コンスタンティヌス帝は、ディオクレティアヌス帝の大迫害もすべて「神の与えたもうた試練」という言葉で耐え抜いてくるキリスト教徒を見て「こりゃもう、ヤツらを無視して帝国統一はできないな」と悟る。悟った結果、彼はちょっと底意地の悪いことを考えるんだよね。
 その結果が、325年の『ニケーアの公会議(あるいはニケーア宗教会議)』なのだった。
 ニケーアの公会議は、ちょっとした教義内容の違いをとりあげて、どっちがキリスト教の正統かということをちゃんと決めよう、という会議だった。この教義内容は「キリストは神の子であるか、それとも神に一番近い『人間』であるか」という違いであった。
 キリスト教徒でない人間には「どっちが正統でもいいじゃん」という内容である。
 しかしこの『正統かどうか』がくせ者なのである。
 『正統』と言われた方はともかく、「アナタは異端です。明日から正統派に宗旨がえしなさい」と言われた方は、そりゃ怒るだろう。誰だって自分が信じている方を正統にしたいに決まっている。          
 そこが「コンスタンティヌス、お主も悪じゃのう」というところなのだ。
 迫害されている間は「同じキリスト教徒」として一丸となっていた彼らが、『正統の座』を争って内部分裂しちゃうのだ。
 公認して迫害をやめて、宗教会議まで開いてあげちゃうとってもステキなコンスタンティヌス、を演じながら、その実、キリスト教徒を分裂させて『無害』な存在にしてしまう。
 これがワルでなくてなんだろうか。
 結局ローマは、ねたみ抑止力といいコンスタンティヌスといい、人間の暗〜い側面を、メチャメチャ上手に操作して、それによって「全ての道はローマに通」じちゃうようにしちゃったんだろうな。
 と、3回のローマ講義を通じて思ったワタシだった。