▼ 2Cころ:邪馬台国女王

卑弥呼(Illustration:マスダ) 弥生時代の小国家、邪馬台国の女王の名前。『魏志東夷伝倭人条(魏志倭人伝)』によると、卑弥呼は「鬼道を事とし、衆人を惑わす」と書かれている。”鬼道”とは道教系のシャーマニズムであるといわれ、これによって政治を行ったという。こういうのを読むと、まさに”祭祀(まつり)”とは”政治(まつりごと)”だったんだなあと思う。
 で、卑弥呼は絶対に人々の前には顔を出さず、彼女の言葉は弟によって人々に伝えられた。この場面は手塚治虫の”火の鳥”でもでてくるけど、この弟ってのがなんともクセモノっぽいよね。
 邪馬台国はもともと王が70〜80年治めていたが、国が乱れ争いが続いたので、卑弥呼を女王とした。彼女の不思議なチカラと、魏にもらった”親魏倭王”のお墨付き&銅鏡100枚でしばらく落ち着いていたが、彼女が死ぬとまたまた争いがおこってしまった。それで、男の王を擁立したが結局上手くいかず、卑弥呼の一族にあたる壱与(“いよ”または”とよ”か?)という少女を立てたら今度は上手くおさまったという。(『魏志倭人伝』)
 さて、今日邪馬台国のありかを特定するために様々な論議がなされているが、卑弥呼のお墓はどこであろう?というのも大変な問題となっている。お墓があるからといってそこが邪馬台国であると特定できるわけではないが、だぁれも知らない遠い国にお墓を造るわけはないので、まぁその辺り、ということになるだろう。
 現在最も「卑弥呼墳墓の栄光」に近いお墓は、奈良県にある箸墓(はしはか)古墳※1。つい最近すぐ隣りのホケノ山古墳※2から中国製の鏡が出土したことで、にわかに信憑性をおびてきたといわれる。大きさは百歩余り(=150m前後)卑弥呼に殉じて埋められた奴隷百余人(『魏志倭人伝』)箸墓古墳は後円部が150mあるらしいし、卑弥呼が死んだ時代に一般的に殉葬が行われていたかというと確たる証拠はないみたいだから人骨は出てこなくてもOKね。(そういう問題でもない?)


※1 奈良県櫻井市にある纒向(まきむく)遺跡は3世紀に突然出現する巨大集落で、面積約1平方キロ。日本最初の都市とみる研究者も多い。中でも箸墓古墳は三輪山の神様と結婚したという夜麻登登母母曾毘賣命(ヤマトトトビモモソヒメノミコト)の墓にして卑弥呼の墓ではないか、といわれ研究されている。神様と結婚したというあたりかなりヒミコ風。といってもこの古墳、宮内庁の管轄で学術調査といえども何ピトたりとも足を踏み入れてはならない土地。現在はお墓の回りを地道に調査するしかない。
※2 3月28日新聞を見て国守は愕然とした。「…解説書き直さなきゃじゃーん」なんて。今年3月27日に学者先生達が記者会見したところによると、ホケノ山古墳は日本最古の古墳!中国・後漢の鏡とみられる画文帯同向式神獣鏡(がもんたいどうこうしきしんじゅうきょう)1枚(直径19センチ)と破片、内行花文鏡(ないこうかもんきょう)の破片や剣類・壺などが出土。さてこの「画文帯神獣鏡」なる鏡、文様分析では220〜30年頃のもの。時代的にも卑弥呼の在位中だ。今まで彼女の賜った鏡とされてきたのは「三角縁神獣鏡」だがこの鏡は中国本土では出土していない。(出土していないからと言って中国の鏡でないというわけではない。中国全土で一体どのくらい発掘されていない遺跡があるかを考えてみるよい。)九州から東北までの各地で約500面発見されている。複製があるとしてもちょっと多すぎるんじゃない?日本に100面しかない鏡を惜しげもなくばらまくようにも思えないし。ということで「画文帯神獣鏡」は畿内中心に約60面発見され、また最古の古墳から発見されたこともあって卑弥呼の鏡じゃないかと注目されている。さて、次の卑弥呼グッズが見つかるのは果たしてどこからであろうか。