四川の辺境王国だった秦の王、政は、戦国七雄の最後“斉”を征服して中国初の統一王朝をうちたてたとき、自ら『始皇帝』を称した。
 『皇帝』の名の由来は、中国伝説時代の“三皇五帝”にあやかったものとか、“皇(おお)いなる帝”の意とか、いろいろ言われているけど、要するに彼は『王』という呼称では満足できなかったわけだ。
 というのも、春秋戦国時代の中国は混乱を極めており、雄と呼ばれる勢いのある国以外の小国でも、とにかく国の支配者であれば『王』と呼ばれたのだ。そりゃ、天下を統一した自分を、こういうゴロゴロいるヤツらとは別の、特別なモノだと主張したい気持ちは判る。
 何かの名前が一般的になりすぎたとき、別の名前をほしいと思うのは人間の性かもしれない。
 アパートという名前が一般的になったとき、それより上のグレードの住まいであることを示すために『マンション』という言葉を持ち出したりしたように。ちょっと違うか。
 まあ、そんな中で考え出された呼び方が、『皇帝』だったわけである。
 西欧の『皇帝』と『王』の違いは『ローマ帝国』に由来する。ローマ帝国の流れを汲むと、誰か(ほとんどの場合教皇)から認められた国だけが『帝国』であり、『皇帝』なのである。
 当然、ローマ帝国の威信が強かった頃は、その名前にもそれなりの力があったが、次第にその威力は薄れ、王と皇帝との差はなくなる。
 西欧では、皇帝も王も、君主の呼び方でしかなくなってしまったわけだ。
 『皇帝』という言葉を漢和辞典でひいてみると、「秦以後、天子の称。」と出てくる。
 そう、中国には「王」と「皇帝」の他に「天子」という称があり、国の君主たるモノは「天子」なのである。つまり、始皇帝以降の中国統一王朝の君主は、「皇帝という称の天子」であることになる。
 この「天子」の部分に含まれる意識が、西欧と異なる部分なのだ。
 では、天子とは?
 天帝(中国で言う創造主)の子であり、天命を受けて一国の主たるもの、それが天子である。
 儒学は支配者が倫理・道徳を持って治めるのが『徳治』であり、このようなやり方が『王道』だと唱えた。逆に力でねじ伏せるのは『覇道』といって、正しくない道だと。
 そんな正しくない政治を続けていると、やがて「天命があらたまって」支配者が交替する日が来る。これを「革命」と称する。
 力づくで中央集権体制を整えようとし、統一政策のジャマをするようなことを唱えている儒学者を埋めて殺しちゃうようなマネをした始皇帝は、まさしく「覇道」を突き進んだヒトであろう。
 始皇帝死後、確かに天命はあらたまった。
 結局始皇帝は、「王」という名前からは逃げられたが、「天子」という名前からは逃げられなかったのだ。
 ワタシタチも、表面的に何か偉そうな名前を頂いたとしても、その本質の部分をないがしろにしたら、いずれ「天命があらたまって」なんか困ったことになるんじゃないかな。