中国の歴史には、よく「宦官」と「外戚」が登場する。 外戚とは、皇帝の奥さん=皇后の親戚のことで、要するに奥さんの親戚が、ダンナの仕事にあれこれ口を出したりして、挙句の果てには皇帝を毒殺してこの外戚が王国を建設しちゃったりすることもある。
 しかしまあ、奥さんの親戚がちょびちょびすることは現代の世界でもないわけではないから、これは理解しやすい。 悩むのが「宦官」という人達である。
 宦官=去勢男子、要するに男のシンボルであるイチモツを切り取ってしまった人達なのである。ただし、彼らは別に自分の性に疑問を感じていたわけではない。純粋に(?)お仕事としてイチモツを捨てたのである。
 勿論、はじめのころはそれは「刑罰」であった。ある意味処刑よりも「ヤなカンジ」の刑罰で、当然周りからは後ろ指を指され、生き恥をさらしながら世を堪え忍ばねばならない、そういう罰だったのだ。
 「史記」で有名な司馬遷なんかも、中島敦で有名な李陵のことで、時の皇帝武帝と対立し、去勢されると言う罰を受けている。
 しかしながら、面白いことに「皇帝の神格化」が進むにつれて、この宦官に対する見方が微妙に変わってくるのである。
 「神様である皇帝」のそばに、汚れた人間をお仕えさせるわけにはいかない。しかし、まさか皇帝に自炊させたりするわけにはいかないから、とにかくお世話する人はおかなくてはならない。どうしよう…と考えたとき、去勢男子の存在がクローズアップされてきた。
 皇帝の私生活の部分は、あまり普通の人間に見せるわけにはいかない、けれど「生きていることがすでに恥」である去勢男子だったら、外へ行ってべらべら喋るわけがないからいいんじゃないか?ということが始まりだったのかも知れない。あるいは「男であって男でない」という部分が「普通の人間ではない」と受け取られて、皇帝=神の近くに置いてもよいと思われたのかも知れない。
 とにかく、皇帝の私生活担当として、彼らは「去勢男子」から「宦官」へと進化した。そのうち、彼らは「実はとても役に立つ」んじゃないか、ってことになってきたのだ。なにしろ彼らは男として生まれはしたけれど、すでに「男ではない」。ってことは、後宮の世話をさせるのにも彼らは有益なのだから。
 だから、はじめは宦官といっても彼らは「皇帝の私生活担当下僕」みたいなもんだった。
 ところが、皇帝の私生活を担当するわけだから、当然次期皇帝のお世話も彼らがする。すると、子供の頃から一番身近にいるのは宦官、という皇帝が誕生するわけで、当然そういう人達は宦官に頼ったり、優しくしたり、権限を与えたりするようになったりした。そうして、この世の生き恥だった去勢男子が、いつの間にやら皇后の親類と権勢を争うような華々しい「宦官」になっていったわけである。
 私たちは「去勢男子」というコトバから、勝手に中性的でなよなよしたニューハーフ系の人を想像してしまうけど、「出世のためにイチモツを切ることも厭わない!」と決断するとなれば、これはかえって出世欲に燃える、非常に「熱い男」だと言えるんじゃないだろうか。
 実際、永楽帝の南海遠征で船団の指揮を執った宦官「鄭和」は「歩く姿は虎のごとし」と形容されるほどのイカツイお兄さんだったそうである。
 とりあえず、彼らが巨大な「野心」を持っていたことは、確かだったわけだな。