三国時代のヒーローと言えば、やはり孔明&劉備の『蜀漢』になるのだろうけど、実際に有力だったのは魏である。もともと放っておけばさっさと魏が中国統一していたところを、孔明が巧くやって三国鼎立に持ち込んで「技アリ一本」って感じなのである。
 そんな状況なので、呉と蜀は正直言うと「国を守るのに精一杯」というところ。さしもの孔明も、内政改革で素晴らしい知恵を発揮したとは聞かない。唯一「内政を安定させよっかな」なんて余裕があったのは、魏のみであった。
 その魏が一番アタマを悩ましていたのは、豪族の横行。後漢成立時から豪族は相当邪魔な存在になっていたのだ。
 なぜ豪族が邪魔なのかというと、豪族はオカネがあるから土地を買い占める。すると小農民は土地を失って彷徨うことになるか、あるいはその豪族のところで奴隷同様にこきつかわれることになる、ってことは、国の支配する土地と人民が減るということで、軍事・財政的に国にとって無視できない状況になるのだ。
 そうやって力を蓄えた豪族は、中央政界に進出してくる。前漢の武帝の時代に官吏登用制度として“郷挙里選”というシステムが制定されていた。これは、地方の長官にその地方の有徳者を推薦させようというもの。
 ちょっと聞いた分ではいいような気もするんだけど、残念ながら地方の長官はすでに豪族自身・あるいは豪族の手先になっていたから、当然推挙されるのは豪族ばっかり。
 魏は、ようやく豪族進出の理由が、郷挙里選にあることに気づく。そこで、地方の長官による推薦をやめようと思い立ったわけだ。
 こうして定められたのが「中正官」という第三者。この中正官が地方の評判を聞いて、優秀な順に人間を九つにランク付けして推薦するという“九品中正法”が実施されたのである。
 ところが、九品中正法実施の結果、「上品に寒門なし、下品に豪族なし」と言われるほどの豪族社会になってしまった。
 なんでだろう?
 答えは簡単である。
 何を考えたのか知らんが、魏の文帝(=曹丕)は、中正官を「地方の実力者」にやらせたからだ。これじゃナンにも「中正」じゃないじゃないか。
 当然、中正官はとっとと豪族に抱き込まれてしまい、またもや豪族ばかりを推挙するようになった。中正官に贈り物もできないような貧乏人(=寒門)は、どんな有徳者でも推挙されない。
 しかし、魏の文帝をあんまりアホウと責めるのもどうかとも思う。
 だって、彼が「地方から推薦させよう」と考えたのは、やはり「自分の耳が届かない地方で頑張っている有徳者を中央へ引き上げてやりたい」という気持ちがあったからだと思うのだ。
 彼が間違った部分は、「誰もがそう思うだろう」と信じちゃった部分にある。
 誰もが政治を良くしたいと思っているに違いない、だからきっと良い人物を推薦してくれるに違いない…。おめでたいといえばおめでたい。しかし、信じたかった気持ちは判らないでもない。
 結局、この豪族締め出しのための官僚登用方法は、隋の時代まで問題を持ち越し、最終兵器“科挙試験”による解決をみるわけである。科挙は「学科試験による公正な判断」によって、官僚を登用する制度である。これがいいか悪いかは別にして、冷徹なまでのペーパーテストが豪族を閉め出したことは確かであった。
 なにしろこのペーパーテスト、1905年まで1300年間も続くのだ。そんでもって、現在でもワタシタチは「ペーパーテストによる選定の弊害」を指摘していながら、それに変わるシステムを、いまだに編み出せないでいる。
 とりあえず、新しいシステムが出てきたとき、文帝みたいに「気持ちは判るけどさ…」なんて慰められないように、気を付けてほしいなと思う。