南北朝時代、ボコボコ生まれてきた王朝は、こぞっていろいろな新制度を実施する。例えば均田制、三長制、あるいは府兵制等々。
 ただでさえ国が多い上、いろんな制度が入り乱れるモノだから、受験生には大いに嫌われているこの魏晋南北朝時代。いったい何故、そんなに新制度が実施されたのか?
 これら新制度の目的は、要するに「豪族を抑制して農民を確保しよう!」ということである。
 後漢の時代から、王朝にとって豪族が幅を利かせていることは、大いに悩みの種であった。土地を買い占め、大切な課税対象である農民達から農地を奪ってしまうからだ。しかも、彼らを抑制するために土地を制限しようとしたら、今度はヤツら、中央政界に進出してきて、いろいろジャマをしてしまうのだ。
 その上、イッパシの貴族の顔をして好き放題。
 んじゃ、彼ら一体、どんな「ジャマ」をしたのだろうか?
 豪族の「ねじ込み」がハッキリ表れているのが、北魏で採用された『均田制』である。
 そう、日本にも伝わってきて一時期大流行した、アノ均田制だ。
 均田制ってどんなもんか、簡単に言うと、無主の土地を全部国のモノってことにしておいて、農民に「給田」という形で貸与する、そんで死んだら返してもらってまた別の人間に貸与する、そういう「土地の貸出制度」みたいなもんだ。相当おおざっぱな説明だけど。
 とにかくそうすることで、土地の受給・回収を国が管理し、豪族が土地を買い占めることを制限しちゃう。だから「豪族の抑制と農民の確保」のための政策だというわけなのだ。
 しかし。
 当然豪族だって、そのくらい気がつくのである。そんでもって彼らは中央政界にもいるわけだから、自分の土地が制限されるような政策に手放しで賛成するわけがない。そして彼らはねじ込む。「ちょっとナントカしてや、皇帝さん」とね。
 皇帝の方だって、彼らに反乱を起こされたらたまったもんじゃないので、仕方がないからちょっぴり譲る。その結果が北魏の均田制特有の「奴隷・牛への田んぼ支給」なのである。
 いかめつらしく言うと「奴婢,耕牛,妻への給田」だ。
 普通、奴隷や牛に田んぼなんかあげるわけがない。結局これは「奴隷を持っているヒト、牛を持っているヒト」への給田ということなのだ。奴隷や牛をたくさん持っているヒト=豪族だから、結局は豪族には多めに給田するよ、と言っていることになる。
 これが隋,唐と時代を経るにつれ、牛への給田がなくなり奴隷への給田が中止され、妻にも支給されなくなる。これは即ち、皇帝が豪族の機嫌を伺わなくても済むだけの権力を身につけたということなのである。
 それにしても、牛である。
 「ここはアオの土地」ってのがあったり、「ハナに子供が産まれたで土地くれろ」とかいうオヤジがいたりしたのかな、と思うと、少し楽しい気がしてしまう、そんな豪族と皇帝との鍔迫り合いの様子なのだった。