隋の時代から始まった官吏登用制度、歴史上最も有名な筆記試験である『科挙』。試験は何と、2泊3日の日程を3回繰り返し、計9日にも及んだ(※清朝時代)。受験生は小さく仕切られた部屋に一人ずつ入り、文房具・食糧・食器・布団・カーテンを持って、3枚の板で棚・机・腰掛けを作って、2泊3日の試験を受けるのだ。
 まさしく、最難関の試験に相応しい一大イベントだ。
 しかし、気軽に「歴史上最も有名」なんて書いてしまったが、本当だろうか?
 ある意味「本当」、ある意味「そういわれても比べようがない」と言うところだろう。なぜなら、西洋には16世紀末になるまで「筆記試験=ペーパーテスト」というものが存在しなかったからだ。
 ワタシタチは現在、その功罪は別として、最も手っ取り早く人を順番づける方法はペーパーテストであると、ごく普通に思っている。もちろん西洋にだって現在はとんでもなく難しいペーパーテストが存在する。では何故、そんなにペーパーテスト導入が遅れたのだろう?
 答えは簡単。
 西洋には『ペーパー』がなかったからだ。
 製紙法は中国で発明され、751年タラス河畔の唐とイスラム勢力の戦いによって、西洋に伝搬されたとするのが一般的だ。つまり、中国で科挙が始められた時代には西洋には紙はなく、どうしてもモノを書かねばならないときは、高価な羊皮紙が使われていのだ。
 もちろん、試験をしなくてはならない場面は西洋にもあった。では彼らはどのように試験をしたのか?
 「紙がないなら口でよい」
 つまり、口頭試験だ。
 アテネの時代から脈々と続く『弁論術』が彼らの試験道具だったのだ。そのため試験はワタシタチが考えるような「正確な知識をどれだけ持っているか」ではなく、「いかに相手を納得させる論理展開ができるか」であった。
 何人かが2つのグループに分かれて、何かの命題に対し、賛成か反対の立場で論争する。そして、次にはグループの立場を入れ替えて同じ命題に対して論争し、賛成の立場・反対の立場両方で相手を言い負かした者が試験の勝者なのである。
 なんと、内容の真偽は問われないのだ!
 無論この後、西洋も次第に『試問』形式の試験に変わっていくのだが、中国の『筆記試験』という方法を西洋に持ち込んだのは、はるばる歴史を経て登場するイエズス会の皆様である。実に16世紀も終わりに近づいた頃だった。
 イエズス会が「筆記試験」を導入することをすすめたのは、中国で文官による強力な官僚制度・統一王朝が作られているのを目の当たりにしたためであるといわれている。宗教改革や絶対主義君主の鍔迫り合いでゴッタゴタになっている西欧には、中国の官僚制度はさぞかしススンデルように見えたんだろう。
 実際には『科挙』制度は、どちらかというと「皇帝に都合がよい」形のモノである。問題と解答を君主の好む保守的なモノにすれば、どのみち保守的で迎合的なヤツしか官僚に登用されない。その上、難しい試験に挑ませることで、若者の溢れるエネルギーを、反乱とか革命とかいう危ないモノから遠ざけておけるのである。
 結果、科挙には“新しい思想”というものを封じ込めてしまう弊害があった。
 もちろん、そんなことに気づいていた人は当時にもいただろう。あるいはその中には、導入を検討する会士たちにそっとそういう危険性を耳打ちした人もいたかもしれない。
 それでもイエズス会士は、きっと筆記試験を伝達しただろう。そんな『弁論』よりも、実際に『筆記試験』で作られた中国の秩序正しい現実の方が強烈だったのに違いないのだから。
 現在では西欧でも筆記試験は当たり前である。が、それでも『口頭試問』の部分は残されている。
 もし、西洋に『筆記試験』が伝わっていなかったら…。彼らの『口による試験』はどんな発達を見せたのか、ちょっと興味のあるところである。