トゥールとポワティエという場所は、現在のフランス、ロワール川近くにある。8世紀初頭、イベリア半島経由で侵入してきたイスラム教徒が、ここでゲルマンのフランク王国に撃退され、退却している。732年のトゥール・ポワティエ間の戦いである。
 7世紀初めに西アジアで生まれたイスラム教は、8世紀に入ってまさに爆発するほどの勢いで広がっており、イスラム騎馬軍は『無敵』の軍隊として恐れられていた。
 無敵と言われたイスラム騎馬軍を撃退することは文句なしに「スゴイ」ことである。これによってフランク軍の先頭に立った宮宰カール=マルテルのカロリング家の発言力は、国王以上となった。
 もしこの戦いでフランク王国が負けていたら、ヨーロッパはイスラム教徒に席巻されていて、キリスト教は滅んでいただろう。だからこの戦いでの勝利はヨーロッパのイスラム化を防ぎ、キリスト教世界を防衛したのだ!
 …というのが、トゥール・ポワティエ間の戦いの意義である、と世界史では言われている。
 が、しかし。
 この「キリスト教世界の防衛」という評価には、疑問を符す声もあるようである。
 なぜなら、もしこの戦いに勝っていたとしても、イスラムが本当にヨーロッパに居着いたかどうかはかなりギモンだったからだ。
 現在のヨーロッパの豊かさを知っているワタシたちには想像しにくいことだけど、ヨーロッパはもともと全域が深い森で、交通すらままならず、おまけに山も多くて農耕には苦労が伴う、当然住んでいる連中もなんだか大したお宝を持っていないビンボー人たちの集まりだ。
 商業の発達した西アジアに発し、物資にあふれた魅力的な場所を知り尽くしているイスラム教徒たちが、果たしてそれほどヨーロッパに魅力を感じたかどうか?
 トゥール・ポワティエ間の戦いも、イスラム教徒にしてみれば「行けるところまで行ってみよう」と思ったらどんどん貧乏くさい場所になっていって、そろそろシオドキかな…なんて思っていた矢先の出来事だったに違いない。実際この敗北の後、彼らはさっさとイベリア半島まで引き上げて、そこに落ち着いてしまっているじゃないか。
 ワタシはこのハナシを聞いたとき、「防衛」という言葉が持っている「傲慢さ」に初めて気がついた。
 「守る」ということは、つまり相手がそれを「欲しがっている」ということであり、自分が持っているモノこそ、相手が欲しがるだけの価値のあるモノだ、と自分で言っているのと同じことなのだ。
 自分たちが世界の中心である、だから自分たちの土地をヤツらは欲しかったはずだ…そんなゴーマンが「キリスト教世界の防衛」という言葉には潜んでいたのだ。
 トゥール・ポワティエ間の戦いの評価を改めようというこの考え方は、最近の「今までの西欧中心の考え方を改めよう」という動きの一環のようである。
 現在のワタシたちが学んでいる学問のほとんどが、西欧を源とするモノのため、ワタシたちは案外無条件でこの「西欧中心主義」を受け入れているところがある。というより、西欧中心主義の存在自体を自覚していないくらいにそれを「普通」だと思っている。
 そう考えると、節操なく「黒人がかっこいい」とか「やっぱりアジアよね」とか、どんどん興味の対象を変えていく「ワカイヒトタチ」は、もしかしたら『西欧至高魔法』にかかっている学者さんなんかより、実はよっぽど柔軟で優れているのかもしれないな、なんて思ってみたりもするのでした。