▼ 592没:32代天皇

崇峻天皇(Illustration:国守) 592年に没した32代天皇。欽明天皇の第12皇子にして、母は小姉君(おあねぎみ)。
 敏達天皇没後の皇位継承において、崇峻天皇は、額田部皇太后(後の推古天皇)と馬子の推す用明天皇(異母兄弟・聖徳太子の父)の即位に反対し、物部守屋の推す同母兄の穴穂部皇子に加担。しかし用明天皇没後、穴穂部皇子が馬子に滅ぼされると、何故か馬子側について守屋と対立する風見鶏的人物でもある。
 即位後、馬子の後押しで即位したくせに「お兄ちゃんを殺した馬子が許せない」なんてわがままを言いだしたため、馬子が東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)を使って殺させた。
 崇峻天皇が馬子を嫌った理由は、兄殺しの他に堅塩媛(きたしひめ/義母)ファミリーと小姉君ファミリー(実母)の反目対立も関係していると思われる。
 とにかく、日本史上唯一、臣下に殺された天皇にして、即日埋葬されるという、前後に例を見ないお手軽崇峻天皇。葬儀も営まれず、天皇にふさわしい墳墓も築造されなかった。そのため89年発見された「藤ノ木古墳の被葬者だ!」とマニアの間でウワサになった人である。