数年ほど前、一時グリム童話がやたらと脚光を浴びたことがありましたね。残酷さをやたら強調した本が出て、「ほぅら残酷でしょ。童話なのに」って主張していたんだけど、なんだかやけにバカ売れだったらしい。
 グリム童話は口伝の物語を収集したものなので、教訓めいた内容が多く含まれている。教訓として子どもに話をする中で、恐がらせるためにわざと残酷さを強調してみたり、子ども同士で話す間にホラー性が高まったり、大人同士で話すうちにウフフな内容が盛り込まれたり…なんてことはいくらでもありそうで、なんでそんなに騒ぐのかよく判んなかったけど、今回の話題は「ハーメルンの笛ふき男」だ。
 ねずみの害に困った村人が、ネズミを退治してくれたら大枚を積もう、と笛ふき男に約束する。にもかかわらず、実際笛ふき男がネズミを退治するとお金が惜しくなって、なんだかんだと理由を付けて約束を反故にしようとする。そんでもって怒った笛ふき男が、ネズミを退治したときと同じように笛を吹くと、つられて出てきた子供たちを連れて消えてしまった…という話。
 前回といい今回といい、全く約束を破るとろくなことがない。
 ところでこの話、実際にあった事件を元にしていることはご存知だろうか?1284年6月26日、130人もの子供がコツゼンと消えた事件で、これが形を変えて語り継がれてグリム童話に納められたらしい。
 但し、消えた子供たちは誰かに連れ去られたわけではないだろうと言われている。
 時代的に人々の移動が激しい時代であることから、少年十字軍や東方植民と関連づける説もあるし、たった1日で消えてしまったという事実から、6月26日に行われる祭で子供たちが誤って遭難したのではないか、と説明する人もある。
 とにかく誰かが連れ去ったわけではないはずなのに、いつの間に「笛ふき男」という「犯人」が登場したのだ。
 中世ヨーロッパは、とにかく社会変化の激しい時代だけど、それは上部構造だけではなく、庶民の分野にまで影響した。人々の大規模な移動や貨幣の流通による商業の発達、そして都市の活発化によって庶民にまで「階級」が生じ、親方や商人などの「市民」と、職人・徒弟などの「下層民」とにくっきり分かれていったのである。
 下層民とは「市民ではない」という意味の蔑称であり、市民が「屋敷と市民権・参政権を持つ」と規定されるとすると、その反対、つまり「家がなく市民権も持っていない」人たちの総称だ。
 そして、笛ふき男である。
 笛ふき男とは要するに「旅芸人」。旅をしているということは「定住しない」ということであり、完全に「下層民」であり、虐げられ差別される存在である。
 かつまた「ねずみとり」はどうか?
 粉をひいて利用する地域ではネズミの害はすごく多いので、ネズミ取りというのはなくてはならない職業だ。しかし一方で、害獣であるネズミを退治する=直接接するということから、畏怖→気味の悪いヤツラ、になって、結局彼らも「下層民」と見なされたのである。
 上の「祭」の仮説を元にするならば、祭の時にやってくる「旅芸人」が、いつの間にか犯人に仕立てあげられてしまった可能性は高い。サーカスに売り飛ばされるって脅し文句も昔はあったようだし。
 でも、旅芸人はそこそこ注目度の高いヒトタチだし、130人もの子どもを姿も見せずに連れていくのは無理なんじゃないか?むしろ気味が悪いって意味じゃ、あのネズミとりたちだべ。そういやあいつら、祭りの日にも来てたなぁ。
 そういや、ネズミの種類の中には、集団で川へ飛び込むレミングってヤツラがいるんだってな。ホントのネズミもそんな風に勝手に川に飛び込んでくれれるとアイツラも楽だなや…って、なんで途中から訛ってるのかよくわからないけど、とにかくそんな噂が全部一緒になってしまった、なんてこともありうる。
 そんな確証のなさが反映したのか、グリム童話は「大人たちが約束を破ったのが悪い」というニュアンスの話になっている。
 実を言うと、ユダヤ人の迫害が始まったのも12世紀頃からだと言われている。彼らが宗教儀式で人を殺したというでっち上げが広がったのだ。また中世ヨーロッパと言えば「魔女狩り」。これも一つの差別といえるだろう。
 つまりこの時代、いろいろな意味で「差別」が渦巻いていたのは確かで、ハーメルンの笛ふき男にもそんな差別の一端が見えているのかもしれない。
 だとすると、これは「差別はいけないと自覚していながら下層民を差別している市民の心の反省」から生まれた教訓なのか、それとも「そんな差別ばっかりしてやがると今に痛い目に遭うぞ」という下層民の脅しから生まれた物語なのか…。
 それともひょっとして、差別されていたヒトタチが、ホントに子どもたちを連れてっちゃったんだったりして…いやいや、それはないだろうけど…。