『百年戦争』には、イヤ〜な思い出がある。
ワタシは25歳の時に一年間、高校で世界史の講師をしていたのだが、秋口に教育実習生がきて、彼らがどうしてもワタシの授業を見たいというので(というか、普通自分の担当教科の先生の授業はみんな見るんだけど)イヤイヤ見せてやったのが、この百年戦争の回なのである。
しかもワタシは2つ受け持ちのクラスがあり、理系のクラスはハッキリ言って「ノらない」ので、できれば文系のクラスに来て欲しいと言ったのだが、ヤツら、理系のクラスにきやがったのだ。
挙げ句の果てに、気持ちよさそ〜うに、居眠りしやがった。教壇からはつむじまでクッキリ見えてんだよ!せめて舟は漕ぐなっつーの!
なんて思い出が胸をよぎって辛い今回である。
そういう思い出を含め、百年戦争は本当に書きづらい。
この辺は「ファン」が非常に多い部分であり、百年戦争やジャンヌ=ダルクなんて、うっかり変なことを書こうものなら、どんな抗議がくるものやら判ったものではないからだ。自分が無知だからしょうがないけど、やっぱ聞きたくないモノは聞きたくない。
というわけで、今回は「年号」というものについて考えてみたいと思う。いきなりだけど。
ワタシは中学の頃、社会科、特に歴史って「大ッ嫌い!」だった。ワタクシの母に聞いていただければ、惨憺たるその結果を知ることが出来るはずである。
一体何がそんなにイヤだったかというと、とにかく「年号」というものが嫌いだったのだ。明治維新が何年に始まろうが(未だに知らないが)弥生時代が何世紀だろうが(今も覚えてないが)、それを覚えて何の得になる!と言いたかったのだ。
そんでもってまた、当時の社会科の先生が、テストで年号問題を出すのが大好きだったのである。しかも、判らなくてでも空欄よりはマシと、とりあえず書いた年号を「●●と書いたアホがいる」と言われて以来、全部「1999年」と書いてやった。
もうその年号すら過去の歴史になってしまったんだなあ。しみじみ。
もちろん、クラスには例の「語呂合わせ年号暗記術」というのが大流行、みんな憑かれたように呪文を唱えていたのだが、ワタシはこれも嫌いだった。「鳴くよウグイス」くらいにメジャーなものならともかく、中には「そんな文章を覚えるくらいなら素直に数字を覚えれば4文字で済むじゃねーか!」というくらいのこじつけも多い。
なんというか、嫌いなくせに偉そうなことを言うのはなんだが、気持ちとしては「そんなの邪道だね」という感じだ。
そういうワタシだから、結局大学受験の時も多分合計で10コくらいしか年号を覚えていなかったと思う。
それでも切り抜けられたのは、結局「歴史の流れを覚えていれば、キーとなる事件の年から年号は大体逆算できる」からだ。テストの方もその辺を考えているのか、年号をズバリ聞くモノは少なく、4つくらいの事件を挙げて「順番に並べなさい」と命令するヤツが多くなっているから、この方が効率もいいし、何より「歴史」というモノの捉え方に即していると思う。
だからワタシは講師に行った最初の授業で、生徒に思いっきり宣言した。「ワタシのテストには年号問題は出ない」と。そんなワタシに教わった可哀想な生徒が、翌年以降、他の先生のテストでどんな目にあったのか、それはワタシには判らない。
ちなみにワタシが覚えていた10の年号は、BC30, 313, 800, 1299,1453, 1555, 1689, 1789, 1840, 1917である。世界史では超有名どころの年号ぞろいだ。
中でも1453は皆にオススメ。なぜなら百年戦争が終結して英仏に新しい展開が訪れた年であり、東欧ではコンスタンティノープルがオスマン朝に陥落した年だからだ。実際ワタシは高校時代、「今度のテストにはこれ(1453)が出る!」と予言して的中させたことがある。
というわけで、1453という年号を見ると、一気に大学受験と講師時代の思い出とにココロを引き裂かれるワタシなのであった。
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私も歴史は好きなのですが、年号を覚えことのは大嫌いでした。ですから「歴史の流れを覚えていれば、キーとなる事件の年から年号は大体逆算できる」は非常に共感が持てます。歴史を大きな物語に見立てて授業すれば、暗記に疲れて歴史が嫌いになる人が減るのではないかと思います。
歴史を暗記物と捉えられちゃうと、とても悲しいですよね。世界史を教えていて、ダイナミックな「流れ」を覚えていてくれないことが、とてもさびしかったことを思い出します。しみじみ。
初めまして。とてもそのお気持ちよくわかります。私は、理系で国立を受験したのですが、なぜか日本史をとってしまいました。ぜんぜん年号なんて覚えずに受験しましたが、流れが頭に入っていたので、結構高得点でした。今は、塾の講師をやっており、なんとか子供たちに年号を覚えさせようとしています。今、その苦心の真っ最中です。よろしかったら、遊びに来て感想聞かせてください。