成立当初の根元的希望::アラブの統一と平等
1.ムハンマド時代
メッカ・メディナの繁栄による貧富の差の拡大
↓社会不安の増大
ムハンマド、徹底した平等論を展開
↓ ←大商人からの圧力・迫害
622 メディナ(ヤスリブ)へ脱出=『聖遷(ヒジュラ)』
メディナにてイスラム教団成立・成長、数年後反撃開始
630 メッカ占領、632 アラビア半島統一・ムハンマド病死
2.正統カリフ時代
ムハンマド後継者としての政治的指導者(=カリフ)選出
カリフの元で征服活動=聖戦(ジハード)展開
ササン朝ペルシア、シリア、エジプト征服
=古代オリエントの終幕、イスラム世界の成立
4代目カリフ・アリーがシリア総督ムアーウィアと抗争
↓661 アリーが狂信者により暗殺
ムアーウィアがカリフとして強引に即位
=ウマイヤ朝 成立、アラブ・イスラム時代突入
同章記事
- 61.清の成立
- 60.明の滅亡
- 59.明の発展
- 58.明の成立
- 57.元の滅亡
- 56.元
- 55.モンゴル帝国
- 54.金・南宋
- 53.北方民族の活動-西夏
- 52.北方民族の活動-遼
- 51.宋-2
- 50.宋-1
- 49.五代十国時代
- 48。ムガル帝国
- 47.インドのイスラム化
- 46.オスマン朝-2
- 45.オスマン朝-1
- 44.サファヴィー朝
- 43.モンゴル勢力の進出
- 42.セルジューク朝
- 41.イラン人王朝
- 40.アッバース朝
- 39.ウマイヤ朝
- 38.イスラム教の成立
- 37.中世末期のドイツ
- 36.中世末期のイベリア半島
- 35.中世末期のフランス
- 34.中世末期のイギリス
- 33.教皇権の失墜
- 32.中世社会の変化
- 31.十字軍
- 30.教会権威の伸張
- 29.スラヴ民族の自立
- 28.ビザンツ帝国
- 27.ノルマン人の移動
- 26.独仏伊の起源
- 25.フランク王国の成立
- 24.ゲルマン民族の移動
- 23.唐
- 22.隋
- 21.南北朝時代
- 20.三国時代
- 19.後漢
- 18.前漢〜新
- 17.秦
- 16.春秋戦国時代
- 15.中国文明
- 14.インド統一国家
- 13.インド文明
- 12.キリスト教の成立と発展
- 11.ローマ帝国の滅亡
- 10.ローマ帝国への道
- 9.ローマの興隆
- 8.ヘレニズム時代
- 7.アテネの民主化
- 6.地中海世界
- 5.オリエント世界の統一
- 4.地中海東岸
- 3.古代エジプト
- 2.メソポタミア文明
- 1.人類の起源
日本人には馴染みのないイスラム教。日本人の宗教観は多神教と呼ばれ、八百万神(やよろずのかみ)という言葉のようにありとあらゆるものに神が宿っていると考えています。イスラム教もキリスト教も一神教。お互いに対立するのは、偶像崇拝を認めるか、認めないかが大きな分岐点。イスラムの神様の姿を見たことあります?モスクだって?あれは建物で、神様ではないでしょ。キリスト教はキリストやマリア様を神様と解釈できると思います。宗教について勉強したいと思ったら、小室直樹さんの「日本人のための宗教原論」と「日本人のためのイスラム原論」を一読することをお勧めします。意外にイスラム教は尊大な宗教ということが分かります。
イスラム教とキリスト教が対立するのは、偶像崇拝を認めるかどうかという原理の部分よりも、お互い「一神教」なのに、唯一のはずの神様が違うから、という部分の方が大きいのでは…?
ヒトリのはずの神様が、あっちを認めるとフタリになっちゃうわけですから(^^
イスラム教もキリスト教も同じ神様なんです。
どちらも同じ1人の神様を崇拝しているんです。イスラムの場合は、マホメットという預言者がいるだけで、神様の名前が、「ゴッド」なのか「アラー」なのかの違いだけ。丸いボールを前から見るのか、真上から見るのか、その程度の違い。聖地エルサレムから幾つも宗教が発生しているのには理由があったわけです。
それは、両方の信者が「アイツんちの神様もウチの神様と同じ」って認めてるという意味での同じ神様なんですか?だとしたら初耳です。
丸いボールを前から見て名前をつけた人たちが、真上から見て名づけた人たちと「同じボールだね」って認め合えるのであれば、なんであんな紛争が起こるのか理解に苦しみますね。
それは、「丸いボール」ではなく円柱だったり円錐だったりして、一般的な信者には「同じ」であることが伝わりにくいんじゃないですか?
表現方法が悪くて誤解を招いているようなので再度説明します。もう1冊ありました。小室直樹さんの「アラブの逆襲」に「ユダヤ教とキリスト教とイスラム教は、神を共有する」という記述です。エホバの神とアッラーの神(とそれにイエス・キリストの天の父なる神もまた)、実は同一神物。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、一神教だから、神は唯一柱にかぎる。アッラーとは神の名ではない。神そのものなのである。それが証拠に英訳の「コーラン」では、アッラーという言葉は決して出てこなくて、The Godとあるそうです。
そこから出てきた結論は、「神の共有」という考え方です。ただし、宗教によって「神の解釈」が違う。
要するに、「同じボールの見方が違う」とは、神様を共有しているのに、神の解釈が違うということなのです。分かっていただけたでしょうか?
ワタシの表現も悪かったようですね。多分、その部分は判っていると思います。
ワタシが聞きたかったのは、同一神であるという意識が、学者や研究者レベルではなく一般信徒にもあるのかということだったんです。
つまり「神様は一人だ。神は丸い。」と信じてる人と「神様は一人だ、神は四角い」と言ってる人の間に、同じ神を指しているという意識があるのかな、と思ったわけです。意識がある上で、解釈の違うことを理由に認め合わないというなら、最初に書かれた「偶像崇拝可否が分岐点である」という意味も納得できます。(でもキリスト教も最初は偶像崇拝禁止だったんですけどね)
オスマン朝のミッレト制でも、キリスト教徒は兄弟宗教として遇してましたし、ある程度の信徒ならば理解していることなのかな。
どちらにしても、宗教を理由にして争うことのない、新しい宗教でもそろそろ出てきてくれないですかね、ってところです。
3つの一神教が互いの神をどのように解釈するか、ということについては、成立過程で先立つものは認めるが、後から来たものは認めない、というカンジでいいのではないでしょうか?ユダヤ教の神はキリスト教にとっての神だけど、イエスはユダヤ教徒にとってはキリスト(救世主)ではない。ムハンマドから見てモーセやイエスは立派な預言者だけれど、キリスト教から見てムハンマドは預言者ではない。少なくとも、イスラム側にはキリスト教に対するリスペクトがあったはず、と思います。
そこを考えると、マスダさんがおっしゃるように今日の争いはどうして収拾つかなくなってしまってるんでしょうかね。