『神の前の平等』という思想は、歴史においては『支配者に嫌われ、民衆に普及する』宗教の絶対的要素だ。支配者は普通、自分を神として崇めてもらいたいものだし、民衆はそういう鼻息荒い連中を権力から引きずりおろしたいと思うからだ。
 この『平等』作戦は、まず神様を一人に絞ることから始まる。何故かっちゅーと、神様が何人もいると、まず神様の中で一番偉いのは誰かという序列をつけなくちゃならなくなって、そうすると、神様に序列があるのに人間に序列がないのは変だ、と言われちゃうからだ。
 神様が一人になる=唯一神が誕生すると、この唯一神が絶対的であることを主張するために、『神様が一人、あとは人間』という図式が誕生する。そして『どんな人間も神から見ればいっしょ』という『神の前の平等』が成立するわけである。
 これを主張する二大宗教といえば、やっぱりキリスト教とイスラム教だろう。
 仏教も平等は主張するんだけど、それは『別次元の至高の存在があるから』ではなく『人間は誰しも悟りを開きさえすれば仏陀になれるから』なのであり、ちょっと様相が違う。仏教は宗教と言うより哲学だという感じがするのは、こういう部分かもしれない。
 さて、キリスト教とイスラム教だ。
 この二つは、共に唯一神の存在を唱え、偶像崇拝を禁止し、神の前の平等を主張する。イスラム教はユダヤ・キリスト教の影響で成立しているから、似ている部分は当たり前だ。
 但し、同じ『神の前の平等』でも、イスラムとキリストには大きな違いがある。イスラム教徒には『聖職者』が存在しないのである。
 ムハンマドは自分を神だとか神の使いだとかいう主張は一切していない。自分は『神の言葉を預けられた者』でしかなく、一切の神性を否定し、自分の血族にもそんなものはないと言っているのだ。
 キリスト教は、聖職者と呼ばれる人たちがいて、彼らに神との仲介をしてもらって行う儀式がいっぱいある。キリスト教徒本人たちの意識がどうかは判らないが、第三者が見れば『どっちが神に近いか』っちゅったら、やっぱり『聖職者の方が神に近い』と判断するだろう。
 しかし、イスラム教は違う。イスラムを受け入れた信徒は全てが平等であり、『誰が誰より神に近い』なんてあり得ないのだ。
 徹底した平等論である。
 ムハンマドはめっちゃ行動的な人で、イスラム教を普及させる大元の理由が、アラブの人間を統一したいという気持ちでもあるため、ガンガン民衆を集めてどんどんアラブを統一していく。
 しかしながら、アッラーの前では皆平等なので、自分が死ぬに際しても「イスラム教創始者としての自分」の後継者は作らない。統一したアラブ世界を維持するための、政治的な後継者(=カリフ)だけを残して去っていくのである。
 ムハンマドは統一したアラブの維持を願ってそのようにはからったのであろうが、残された人たちの意識には「平等」にちょっとした「ブレ」があったようである。
 ムハンマドが残した「政治的な後継者」がいつの間にか宗教性も帯びた後継者になり、さらにはいつしか政治的権力を奪われて宗教的な後継者の名前となり、その上最終的には政治的な王に統合されてしまう…という『平等のブレ』の流れは、受験生に大変嫌われるところであるが、それはまたいつか。