アッバース朝は750年から1258年まで500年以上も続いた王朝なんだけど、10世紀以降はその実体は殆どないに等しい、と言われている。実に、かの国の歴史の半分以上は「とりあえずあるけどぉ」という状態だったのだ。一体何故そのような状態で200年余を過ごさなくてはならなかったんだろうか?
 イスラムの歴史を勉強していると、最初のころは、特に不思議なこともなく進んでいく。そりゃ多少「イスラム」という日本人にはあまり馴染みのない宗教に戸惑うことはあるかもしれないが、王朝交代の流れなどは、特に複雑というわけでもない。
 ところが、これが10世紀を過ぎたあたりから、一変する。授業をしていると、次々に生徒が脱落していくのが手に取るように判った。何が起きるのかというと、爆発的に「王朝が増える」のだ。
 世界史の教科書で「イスラム圏」と言って指し示す範囲は、それこそアフリカ・アジアほぼ全域にまで広がっている。最初は1つや2つの国が頑張って外征してデカくなったりしているのだが、そのうちあまりに国がでかくなると支配しきれなくなり、テーブル上の液体がちぎれて丸くなるみたいに、あちこちで「イスラム王朝」が独立していくのである。
 しかもそれがスンナ派だシーア派だ、どの民族だとか、どこから独立してどこに倒されたとか、もうホントにモザイク上に入り乱れてくるのである。ワタシもイスラム世界が好きで一生懸命勉強したが、それでも訳が分からなくなる。
 更にこの「訳が分からない」に拍車をかけるものがある。
 「カリフ」と「スルタン」である。
 カリフとは、もともとムハンマドの後継者であり「政治的指導者」であった。そもそもイスラムには「宗教上は誰が神に近い」という思想自体がないハズなんだから、宗教的指導者はどーでもよかったのかもしれない。
 従って初期イスラム王朝のトップはみな「カリフ」である。カリフ=王様、ちゅー感じだ。
 ところがアッバース朝が息切れし始めたころから、イスラムの政治世界は分裂を始める。イベリア半島とチュニジアにカリフを自称する国が成立し、アッバース朝のカリフと「3カリフ鼎立」状態になると益々アッバース朝の権威は墜ちていく。要するに政治的にはすでにイスラム世界は「ひとつ」ではなくなったわけだ。
 それでも腐ってもカリフはカリフ。
 そこに目をつけたのが、長年虐げられてきたイラン人シーア派の国であるブワイフ朝だ。武力でアッバース朝を抑えた彼らは、そのカリフにお力を頂く。彼らが「政治的実権」を握るお墨付きを頂きたいのである。
 そこで、彼らは「カリフ」の権利を微妙にすり替える。つまり「ムハンマドの後継者=宗教的指導者」へと変更し、空座になった「政治的指導者」を自分たちに持ってきたのである。その政治的指導者をのちに「スルタン」と呼ぶようになる。
 しかし、その権利を頂いたことにより、逆に「それを保証してくれるカリフの存在」がより必要になってくる。カリフがいて、彼らが自分たちを「あの人達に従うようにね」と言ってくれるからこその立場なのである。
 ちゅーと、当然彼らを潰したり、廃位したりするわけにはいかなくなり、ブワイフ朝はバグダートを奪っておきながら、何故かアッバース朝を滅ぼさない、いや逆に保護する、という不思議な構造になってくるのである。
 結局このアッバース朝、カリフだろうがスルタンだろうがそんなもんはどーでもいい、というモンゴル人によって滅ぼされるまで続くのである。その間、ブワイフ朝とセルジューク朝という二つの国家に、彼らは大切に大切に、しかしながら絶対力を持たないように細心の注意を持って扱われたのだ。
 生かさず殺さず、は、何も税金を取られる一般人だけではなかったのだなあ、と実感する話である。