イランの王朝って、ペルシアが滅んで以来、あんまり有名なモノがない。
 今回のサファヴィー朝だって、オスマン朝に対抗し、世界の半分といわれるほどにイスファハンを繁栄させたにもかかわらず、知名度といったら「オラの町の有名人」程度のモンである。下手したらオラのクラスかもしれない。どのみち「一部地域で有名」でしかないのだ。
 な〜んでこんなに知られてないんだろうか?
 ひとつには、ヨーロッパに脅威を与えなかった、ちゅー部分があるだろう。まだまだ日本の教科書はヨーロッパ中心に記述されてるモンだから、オスマン朝みたいにヨーロッパに絶えず圧力をかけてるような連中は、ちょこちょこ教科書に登場するけど、そうじゃない連中は「イスラムの展開」みたいなコーナーにしか登場しない。
 サファヴィー朝はオスマン朝を牽制する意味からも、ヨーロッパに迎合していたムキがある。イスファハンにはモスクの他に学園や庭園を力一杯造営して、ヨーロッパ人を熱烈歓迎していたのだ。そりゃイスファハンは繁栄するけど、「世界の半分」といわれるその「世界」とは、ヨーロッパ人の指し示す「世界」だったのである。
 人はオモシロイもんで、味方のことより敵のことの方を熱心に研究するのだ。だから、ヨーロッパ人は、多分サファヴィー朝よりオスマン朝の方をより研究し、書き留め、記録に残した。だから、今、当時の文献を頼りに歴史を再構築すると、どうしても「オスマン>サファヴィー」になっちゃうんじゃないだろうか。
 そんでもって、サファヴィー朝がいまひとつマイナーな理由の一つに“神秘主義(スーフィー)信仰”というモノがあるんじゃないかとワタシは睨んでいる。勝手に睨んでるだけだけど。
 神秘主義とは、言葉そのものが既にアヤシイ雰囲気を含んでいるのだが、もうちょっと正確に言うと「忘我の境地に達して神との合一感を体感しよう!」というカンジの内容を説いている。
 ただ、その「忘我の境地の達する」ための教義といったものが、イマイチあやふやで妖しげでヒミツめいていて、いかにもいかにも!ってカンジだったので、ちょっと正統派からいうと「ハナツマミ」だったのだ。
 神秘主義の教義の中には色々な「合一方法」があるけれども、トルコなんかには、そのままズバリ「回る」ことによって忘我に達しようという教団がある。回ると広がるスカート風のモノを身につけて、とにかくクルクルクルクル回るのだ。回って回って気が遠くなった頃、きっと神様と出会えるのに違いない。
 しかしながら、ヒトは「正しくてつまんない」より「ちょっとくらい違ってても楽しい」方が好きなドーブツである。神秘主義の人たちは、現地の習俗とかナラワシなんかを上手く取り込んでいたので、正直言うと、「正しいイスラム教」よりも普及しちゃった部分もあるらしい。正統派としてはセツナイ。
 とにかくサファヴィー朝ってのは、信仰している内容自体、ちょいとばかり「ウフ。ヒ・ミ・ツ」ってカンジの王朝なのだ。イスラム教の正統教義自体がナゾと思われる日本人社会で、その上更に異端の信仰となれば、みんなそ〜っと避けて通っちゃうんだろう。
 ワタシなんかは「ヒ・ミ・ツ」と言われると「うぅ〜んイケズゥ。いいじゃな〜い」ってそ〜っと入り込みたくなるタイプなので、妙にサファヴィー朝が気に入っているのだが。
 そんなわけで、日本人には馴染みのない名前ながら、サファヴィー朝という名前を覚えておくと、なんだか「ウフ。ヒ・ミ・ツ」のおこぼれに預かれるような気がして楽しいんじゃないか、と提案して締めくくりとするのであった。