ワタシはナゼか、オスマン朝が好きだ。だからコンスタンティノープル陥落については語りたいことが山のようにあるんだけど、それは塩野七生のコンスタンティノープルの陥落を読んでいただいた方がおもしろいと思うので、あえて、違う話をしたいと思う。
1396年のニコポリスの戦は、授業ではあまり大きく取り上げられない、どっちかつーと地味な戦なんだけど、ヨーロッパにとっては、メチャ大きな意義を持っていた。
なにしろ相手は憎むべきイスラム教徒。そのあまりのイキオイに、ヨーロッパの人たちは遠くから彼らの軍楽隊の音が風に乗って聞こえるだけで、荷物をまとめて逃げるしかないというほどに恐れていたらしい。
ちなみに当時のヨーロッパには、楽器というと巨大な弦楽器しかなかったので、トルコの軍隊が音の出る管楽器を演奏しながら近づいてきたときにはメチャ驚いたらしいけど。
とにかく、バルカン半島はあれよあれよのウチに次々征服されていき、1366年にはアドリアノープルまで征服されてしまう。
さすがに「こりゃ、イキオイを止めなきゃまずいだろ」ということになり、バルカン最後のキリスト教勢力であるハンガリーを、イギリス・ドイツ・フランスの王様が焚き付け、ヨーロッパ連合軍を作る。俗名『バルカン十字軍』の結成である。
このとき、ハンガリー王はそれほど乗り気じゃなかったんだけど、他の3国の方が結成に熱心だったというウワサがある1。特にドイツなんかは、ハンガリーがやられちまったら自分の尻に火がつくものだから、かなり焦っていたらしい。でも、自分が一番の矢面に立つのはヤなもんだから、あくまでも「ハンガリーに協力する」立場を守ったらしいけど。政治の駆け引きってどす黒いよね。
それはともかく、そんな『ヨーロッパ最後の砦!』と言わんばかりのバルカン十字軍は、しかしニコポリスで大敗を喫してしまう。バルカン半島のキリスト教勢力は、これで一掃されちゃったわけで、オスマン朝の次の目標は完全にコンスタンティノープルに絞られたことになるのだ。
だから1402年のティムール急襲によるアンカラの戦は「ビザンツの寿命を半世紀延ばした」と言われるのである。これがなければ、15世紀初頭にはコンスタンティノープルは落ちていたのかもしれない。
が、バルカンでも反オスマン朝勢力は途絶えた訳じゃなかった。この辺教科書で語られない理由がよく判らないんだけど。オスマン朝にヘーコラするフリをしつつ、主張するところは主張するヤツラだっていたんである。
15世紀半ばの、そんなバルカン反オスマン勢力の代表は、ルーマニア公であった。1462年1476年には一時的とはいえオスマン朝に勝利するほどの抵抗を試みたそんなルーマニア公。教科書でも語られないし有名な事実でもないけれど、誰でも、このルーマニア公の存在を知っている。
ルーマニア公でイメージが湧きにくいとしたら『ワラキア公』といえば、何人かは気づくかもしれない。
その人は、ワラキア公ヴラド・ツェペシュ・ドラクル。ドラクルは「竜」、そしてツェペシュは「串刺し」の意味。実は、恐怖小説「吸血鬼ドラキュラ」の主人公ドラキュラのモデルとなったのが、このワラキア公なのだ。
そもそもヴラドはルーマニアでは「英雄」だったんだけど、オスマン軍の戦意を殺ぐ為に、オスマン朝の兵士を串刺しにして彼らがやってくる道に並べて立てた…というエピソードがあり、串刺し公のあだ名がついた。そしてドイツがやたらその残酷性を誇張した本を残したものだから、ドラキュラのイメージができあがっていったらしい。
そんなヴラドを見直そう!という運動もあるようだけど、今のところあんまり日本では成功してないみたいだ。
でも、ヴラドの存在は、かえって小説「ドラキュラ」の怖さを引き立てるような気がして、一層おもしろいんじゃないかな…と思うのはいけないんだろうか?

  1. ハンガリー主導でドイツが引きずられてるという説もある。どっちにしろ、みんな怖かったわけだ []