スレイマン大帝は『立法者』と呼ばれるほどに、法律などを整えている。まあその「法」というのはイスラム法(シャリーア)なので、さすがに現在ワタシたちが考えるような「法」とはちょっと違うんだけどね。
 皇帝が法を整備する理由といったら、ヒトツしかない。自分の権力を確立するためだ。
 スレイマンが整えた「絶対君主としてのスルタンとその官僚達」や行政機構は、芸術的なほどであって、それだけで、いかにスレイマンの権力が凄まじかったか判るほどである。
 そんなウツクシイ行政機構の中に、『ミッレト制』という制度がある。ミッレトというのは『共同体』の意味で、地方政治はある単位で構成したミッレトに大幅な自治を与えて、まあ勝手にやってちょ、てなカンジのやり方だ。
 オスマン朝はその広大な領域ゆえに、雑多な民族が入り交じっている。ちゅーことで、その「ある単位」とは民族か!…と思いきや、実はこれが違うのだ。
 民族がたくさんあると、もう一つたくさん存在するモノがある。そう、彼らがそれぞれ「信じるモノ」だ。
 まあ大きく言えばオスマン朝の中に存在する宗教は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教なんだけど、モノゴトはそう簡単ではない。なんとキリスト教には、ギリシア正教会、セルビア正教会、ブルガリア正教会にアルメニア正教会、そんでもってカトリックとプロテスタントが混在しており、それぞれが「本山」を持っていたのだ。
 そういうわけで、一応その地方地方で、それぞれの「本山」を中心にミッレトが構成されている。が、当然「市町村」みたいに線引きがあるわけじゃないから、両隣は違うミッレト、なんてこともあったりするのである。ミッレトの中はかなり雑多なモザイク状態だ。
 ところが、一度ミッレトを構成してしまえば、そのミッレトはイスタンブールのスルタンを中心にウツクシク集約される。 これがスレイマンが作り上げたモザイク行政だ。
 分散しているようでいて、キッチリ握る。イヤ、ウツクシイ。
 他の宗教を排除してしまうよりも、それを受け入れて「勝手にやらせて」おきながら、気づいたらオスマン朝の行政機構に入れてしまっている。これぞスレイマンマジック!
 無論、スレイマンは本当に好き勝手を許したわけではない。キリスト教徒から優れた子どもを定期的・強制的に徴収して、イスラムに改宗させた上で教育を施したりしていた。
 但し、そうして徴収された子ども達が完全に不幸であったかというとそうでもなく、優れていればかなりの高官として国の中核となり、あるいはイェニチェリ軍団(スルタン直属の巨大な常備軍)に入って『世界最強のオスマン軍』の一員となったりもしたのである。
 そう考えると、やっぱりスレイマンの作り上げたモザイクは最強である。一方では自由を与えて国に組み込み、もう一方では自由を奪っておきながら大きな力を与える。なんちゅーか、ホントに「お代官サマもお人が悪い」ってカンジだよね。
 但し、これは「スレイマンだから可能」だった部分もあるわけで、その後になると、これらの「寛大な自治」が裏目に出て、民族運動とかがメッチャ盛んになってきてしまったりもするのであるが、これはまた後のお話である。