インドの歴史って、世界史Bではとってもタイミングが悪い。
まず、ローマ帝国滅亡後にいきなり「インド文明」に巻きもどる。せっかくAD400年くらいまでいったちゅーに、いきなり紀元前2500年からの再スタートなのである。
しかもその内容たるや、宗教の成立から始まって、どの王国は仏教を擁護した、どいつは迫害した…って、んなもん知るかぁッ!という叫び声が聞こえる気がする。
他にやりようはないのかもしれないが、見事に「流れ」をブチ切って、興味もブチ切っての登場に、学生が急速に世界史に対する興味を失うキッカケにもなったりするキケン地帯だ。
そして次に出現するのが、学生が見事に脱落していくイスラムのオオトリとしてのインドである。もう、この辺では学生は疲れきっている。そこへやってきて、インドかよ。もう勘弁してくれよ…なんてカンジで、つくづくインドってのは世界史Bでは恵まれない場所にいるなぁと思うのである。
そもそも、インドの歴史が学びにくいのは、インドに歴史資料が少ないからである。以前も書いたけど、現世は仮宿に過ぎず、その仮宿の出来事を記録することに意味はない…という宗教観から、インドには史料が少ない。
そのため、宗教の歴史と現実の歴史が微妙にリンクしあった不思議な感覚がインド学習時につきまとい、微妙に学生が脱落していくのである。
ところが、ある時代をもって、インドの歴史(史料のあり方)が変わる。
ムガル帝国の登場である。
ムガル帝国には、バーブルが中央アジア好きでインドなんか嫌いだったとか、アクバル大帝がイスラムとヒンドゥの融和を進めた結果調子に乗って自分を神にした「神聖宗教」なるものを作って失敗しちゃったとか、タージ・マハルの墓主であるムムターズが実は肝っ玉母ちゃんだったとか、その肝っ玉母ちゃんが生んだ14人の子どものうち4人が成長して、次男と三男が謀反を起こして父ちゃんを幽閉し、その上三男は協力した次男はじめ兄弟を次々殺害して無理やり即位したとか、反乱を起こしたマラータ族の連中はアウラングゼーブを「赤猿」と呼び、アウラングゼーブはそいつらを「山ねずみ」と呼んだとか、とにかくそういうエピソード盛りだくさんで、激動の6世代を駆け抜ける。
なんだか他の国の歴史をやってるみたいな充実っぷりである。
インドくん、いったいどうしちゃったんだろう?宗旨がえしちゃったの?なんてちょっと心配になる。なるのはワタシだけかもしれないが。
しかしまあ、これは別に「インドがどーこーなった」わけではない。
イラン的イスラムがインドに入ってきて、それがインドの文化に根付いただけのことである。
イラン人はオスマン朝はじめ、いろんなイスラムの国で宰相を勤めていて、いろいろな場所にいろいろな影響を残しているのだが、インドでは殊更大きな影響が出たようだ。
トルコ・イラン・アラビア語から単語を借りてヒンディ語の文法を利用したウルドゥ語が成立したり、イランの細密画(ミニアチュール)を受けたムガル絵画では、すぐれた歴史画も多く残されている。
加えて、この歴史の記録。
イスラムの歴史で疲弊しきった学生たちが、バーブルという名でくすりと笑い、ムムターズの肝っ玉ぶりにこっそり笑って疲れを癒す。ムガル帝国がそんな世界史学習のオアシスになった陰には、イランの影響があったのである。
その変化がいらん影響でなかったことを願う。