▼10C〜:神聖ローマ帝国

イタリア政策(Illustration:マスダ) ゲルマン・フランク族によって建設されたフランク王国が分裂して成立した東フランク王国(現ドイツの領域)は、962年にオットー1世が“ローマ皇帝”の冠を受けたことにより、神聖ローマ帝国と呼ばれることになる。つまり実質はドイツ国家なのだが、名前をもらったことによって皇帝自身が“ローマ”を意識し始める。そして、彼等は思う。「ローマ皇帝なんだから、イタリアを支配していないのは変だよな」とね。
 要するに、ローマ皇帝という名前を実体と一致させるために、強引にイタリア遠征や干渉を行うのだ。ところが、あまりにもイタリアにかまけすぎたために、ドイツ国内の政治をおざなりにしてしまったのが問題だった。当然のコトながら、ほぼ「皇帝不在」となったドイツ国内では諸侯が力をつけ始め、皇帝の権力はどんどん弱体化していく。弱体化したので皇帝は「やべ。速くイタリアを手に入れて威信を回復しなければ」と益々イタリアへちょっかいを出す。うるさくなった教皇が、皇帝牽制のためにドイツの諸侯と結びついたりする。ドイツ諸侯は益々力をつける…(エンドレス)。
 結局『ウツワに似合わない名前をもらっても苦労するだけ』という教訓みたいで、イソップ童話を探したらひょっこり載っていそうなところが結構笑えると思うのだった。