財政難打開の必要
■王安石の改革(新法)
6年間で10を超える改革の断行
・財政難対策=貧民救済、物価安定で生活苦を解決
・強兵策=農閑期の兵農一致、軍馬の飼育委託
20世紀以降は『中国の光栄』といわれるほどの改革
←当時としては『早すぎた』
権力に執着を持ち始めた皇帝により、やめさせられちゃう
■司馬光による「すべてを改革以前へ戻そう!」
司馬光支持=旧法党 ↓ 王安石支持=新法党
党争による混乱
■北宋の滅亡
新皇帝徽宗:文化人としては天才、政治家としては最低1
1125年 女真族の『金』と結んで契丹族の『遼』を滅ぼす
↓金は更に南下
慌てた徽宗は息子の欽宗に譲位して逃亡
欽層は金と和睦するも約束を不履行
↓起こった金が一気に南下
1126年 開封占領 徽宗&欽宗&皇室3000人余りを捕虜に
=靖康の変=北宋の滅亡
■1127年 欽宗の弟康王による南宋建国

  1. 宋の独裁君主制は皇帝に権力が集まる分、皇帝は寸暇を惜しんで働かなくてはならないが、徽宗は道教に心酔、変装して皇宮を抜け出し、花街へ通う始末。そんなところに国費を浪費したのでもうタイヘン。 []