西夏といえば、西夏文字。井上靖原作の『敦煌』で知っているという人もいるんじゃないでしょうか。
11世紀頃に作られて、現在は使われていない文字である。
とりあえず画数の多いその文字面と、6千数百文字という文字数を聞くと、「こんなわけのわからん複雑な文字を作ったりして、使われなくなって当たり前ジャン。バカだなぁ」とか、フツーに考えると思っちゃうんデスよ。
しかし、実際には西夏文字というのは合体文字であって、単純な単体文字を組み合わせて「単語」=「文字」みたいになっているらしい1。旁や偏を組み合わせる漢字の思想を取り入れているわけですね。
つまり、単体の意味を覚えてさえいれば、その他の6千数百文字は「なんとな〜くわかる」感じがするわけだ。
そういうのを知ると、歴史が進んでから「作られた」文字というのは、当たり前なんだけどそれなりに「考えられて」作られているなぁと、ひしひしと感じる。
文字を「作る人」がいて、その人が自分たちの言葉を書き記すためにどこに重点を置くかを決めて、そんでもってエイヤと「作る」のである。
「文字を作ろう!」というのは、よく世界史では「民族的自覚・自立の結果」と表されている。それまで文字をもたなかった民族たちが、自分たちの言葉を「文字」として残す使命を感じたものの、自分たちの言葉をあらわすための文字が周りに見つかんないので作ってみました、ということなわけで、そもそも自分たちの言葉を残す必要を感じなければ文字なんか必要ないからだ。
当然それには「文字を作んなくちゃ」と考え始める動機があるわけで、そんなことを考え始めるのは大抵、既に文字をもっている他の国・民族と接して、それが「ススンデるゥ」と感じるからであろう。
そのため、作られた新しい文字は、自然と「影響を受けて」いるのである。
西夏文字も、漢字の影響を受けているのは明らかだ。彼らの目から「漢字」を見て、漢字の「よい」と思うところだけを拾って自分たちの言葉と組み合わせた結果、あのような文字になったのであろう。
よって、西夏文字を「合理的な文字」と評する向きもある。ただただ画数多くてなんか変なカンジ〜、なんてテキトーな文字ではないのだ。
歴史がある程度進んでから作られた文字の代表に15世紀に制定された「ハングル2」がある。
欧米人から「世界でもっとも合理的な文字」と賞賛されたという偉大なこの文字は、表意文字一色の東アジア地域に、忽然として現れた「音標文字」であった。
15世紀前半まで、韓国には固有の文字はなく、漢字・漢文が使われていた。でも、朝鮮民族としての主体性や独自性を主張するために、固有の、そして多分、漢字に全く似ていない文字が必要だったのじゃないですかね。
「漢字」の支配から脱却するために、文字構成から何からすべてを自分たちで解釈し直した結果、彼らは『偉大な文字』に行き着いたのだ。
文字を作るっちゅーのは、とにもかくにも「思想」と「表現」が入り混じった大変な作業なのだなぁ、と痛感する2つの文字の成り立ちなのであった。
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数年前のテレビニュースで
文字をまだ持たない少数民族の
皆さんにカタカナをオススメしている
というのがありましたけど。
まったく新しい言語を作る試みは
エスペラントをはじめとして
もめにもめまくるようですが、
言語があって文字を後付けするのは
そう困難ではないのですね。