1142年の、金と南宋の間に結ばれた和議は、金君宋臣という、宋にとっては考えられないような屈辱的な和議であった。北宋の時代、カネで買ったとはいえ宋兄の立場だけ貫いた漢民族には、ヒジョーに屈辱的ッ!だったのだ。
 な〜んでそんな和議を結んじゃったんだろうか?
 1126年の靖康の変で北宋が滅ぼされた後、江南に建国した南宋は、初めのうちは金が追ってきたために江南各地を転々と逃げ回り、1138年にいたってようやく都を落ち着けることができたようなギリギリの状態であった。
 その逃避行の最中、実は金との関係をめぐって南宋に内部対立が起こっていた。
 あくまでも金と戦うという主戦派の代表が武官の岳飛、そろそろ仲直りしちゃおうという和平派代表は文官の秦檜。
 実はこの秦檜、靖康の変にて徽宗と一緒に満州に連れて行かれてしまったヒトだ。それがひょっこり1130年に帰ってきて、金との講和を主張。本人たちは「脱走してきた」と言っているのだが、金の和平派に抱き込まれたという説が出ちゃうような、イワクつきの人物であった。
 ともあれ、しばらく続いた内部対立が、ある日、和平派の勝利となって収束する。
 どうやって勝ったのか?
 A.岳飛毒殺。
 そして1138年から和平交渉が開始され、成果が1142年の和議である。
 金に臣下の礼をとるという屈辱的な内容に、世論は騒然、岳飛は「救国の英雄」として王廟がたてられ、秦檜はなんと、こんな像が作られたり、こんな料理にされちゃったり、もう大変な憎まれっぷりである。
 中国の歴史で「売国奴」として有名なもう一人は、明の勇将でありながら清と内通して手引きした呉三桂という人物である。
 彼の場合は、歴史的にも「そうするしかなかっただろうねえ」と同情すべき点があるのだが、明にしてみりゃ「売国奴」。自分の奥さんが北京で内乱首謀者の愛人になっちゃったと聞かされて怒って清に内通した…なんてかっこ悪い噂も立てられちゃったりするのである。
 秦檜も、夫婦揃って油で揚げる料理に見立てられちゃうほど憎まれたんだけど、彼がそうやって強引に和平を通したおかげで、その後150年間南宋は経済的に栄えることができたわけだけど…。
 とりあえず、国は売らない方がいいんだろうね。…って、ワタシには売るほどの機密もないんですが。


※ 画像はこちらより借用しました。後ろの看板には「唾や痰を吐かないで!」と書いてあるとか。ってことは、みんな唾や痰を吐くわけですね、この像に。