中国の文化の歴史を扱っていると、必ず明の時代に登場する「永楽大全」「四書大全」「五経大全」「性理大全」etc…のといったソウソウタル百科事典。
 いわゆる「類書の編纂」という事業である。
 中国2000年(当時)の歴史上の膨大な史書からすべてを抜き出して分類し、編集しなおす。恐ろしく時間と労力が必要な大事業だ。
 この仕事、ハンパなく大変である。
 なんせ、2000年に及ぶ史書を全部ひっくり返して、事例や言葉、解釈を読み取ってまとめなおすのである。しかも中国人ときたら、インド人を見習ってほしいくらいの文書好き。都が落ちるときも荷車に積めるだけの資料を積んで逃げる人々が、2000年間溜め込んだ史書の量や如何に!と思うと、資料に埋もれた学者の姿がまぶたの裏に浮かんで、目頭が熱くなるでしょう。
 それだけの資料をひっくり返して、何年もかけて仲間と意味を検討し、喧々囂々やらかしたうえでようやくまとめあげた百科事典を皇帝にお持ちすると、皇帝は「んじゃ次は四書について百科事典つくってよ」と新しい冒険をプレゼントしてくれた。
 ビバ皇帝陛下!バンザイ永楽帝!
 もともと、これらの類書の編纂事業は、学者たちが「永楽帝は簒奪者だ」とか何とか、余計なことを言い出さないように、仕事に没頭させようと永楽帝が思いついた大事業であったといわれている。
 ワタクシは高校時代、これを「大事業にしてメチャ役に立たない仕事」と教わった。
  もちろん、役に立たないといっても、実際に文化的意義が高いことを考えると、後々は「やってくれててよかった」という事業なんだけど、別段それが皇帝のカリスマ性を高めるでもなく、それによって当時の文化水準が引き上げられるでもなく、とりあえず「ノートのまとめを作って先生に見せなさ〜い」的な仕事であることは否めない。
 永楽帝は、そんな役に立たない事業に没頭している学者どもを見て「しめしめ。ヤツらめ、思った通り没頭してるワイ。うひひひひ」とか思ったかもしれないが、実際、学者たちはどーだったんだろうか?
 永楽大全だけで終わらず、これだけの類書を作っているところを見ると、案外、それが永楽帝の「手」であることも判った上で、「ノッてやって」いたんじゃないだろうか?だって、とにかく人間「没頭できる仕事」があることは、それなりに幸せだと思えるからだ。
 現在もいろんなところで「コイツ、何役に立たないことやってんだ」と冷たい目で見られている人々も、ひょっとしたら後年、評価が改まる…かもしれないね。