▼1017〜92:セルジューク朝宰相

ニザーム・アルムルク(Illustration:) 十字軍のキッカケとなったセルジューク朝トルコの最盛期、3代目スルタン:マリク=シャー時代のイラン人名宰相である。特に、イスラム教スンナ派神学奨励のため各地に学院を設置し、政治・文化ともに黄金時代を極めたのはこの人の手腕である。そのため、彼の墓はスルタンであるマリク=シャーの傍らにあるが、スルタンのものより立派なのである。なにも並べなくていいのに。
 ところで、イスラム教には多数=スンナ派と少数=シーア派という二つの派閥があり、ちょっとしたいきさつで、この二派は仲が悪かった。実はセルジューク朝がこれほど強くなる前は、ブワイフ朝というシーア派政権がバグダードを握っていて、シーア派有利って感じだった。ところがセルジューク朝、とくにニザーム・アル・ムルクときたら大変な手腕で一気に形勢を逆転、『スンナ派体制』を確立してしまった。
 そのため、シーア派の過激派はニザーム・アル・ムルクを恨み恨んで※1、恨み骨髄に達したところで、遂に彼を暗殺してしまうのである。1092年10月15日(金)※2であった。暗殺したのが有名な『暗殺者教団(アサッシン)』であり、次々と暗殺されていくことになる。
 偉いのも考え物であろう。


※1 ニザーム・アル・ムルクの方もかなり徹底的にシーア派イスマーイール派を弾圧しているので、単なる逆恨みといえないところが辛い。
※2 暗殺はいわゆる「秘儀」であるため、必ず「金曜」「モスク等の公共の場」で「ただ1本の短剣」を用いて「劇的に遂行」されなくてはならない、という決まりがある。大変だ、コリャ。