北虜南倭の困難な時代をどーにかこーにか持ちこたえて、神宗万暦帝を迎えた明朝。ガラスの10才で即位した万暦帝は、当然ながら子どもの間は後見人という名の代理人を立てます。
それが、明朝の中興時代を築いた張居正なんであります。
張居正は王安石に比されるキレ者であった。
彼はこの頃全体の2割が滞納している滞納天国の明朝の税制そのものを大改革してしまう。行政を整理し、戸口調査して、検地を実施、状態を把握した上で一気に税制を変更してしまうのだ。
今までは労役、生産物、貨幣という3種類の税があって、去年の取れ高とかそーいうのによって、その3種類の税をそれぞれ決めていたりしたのですね。そういう細かい変動するものは払う方も受け取る方も混乱して、遅れたり踏み倒したりする元になる。ってことで土地税も人頭税も一括して銀○gでドン!という方式に変更したのである。
これで徴税がビックリするほど簡単になったのだ。
払う方も受け取る方もこれならわっかりやすーい!
ビバ!張居正!!
ところが。
1577年、張居正の元にある報が入ってくる。
「チチキトク、ハヤクカエレ」
しかし、皇帝の代理人として、財政改革を支える柱として八面六臂の大活躍中の張居正、なかなか時間が取れず、結局父の死に目に会えなかったのである。
ところで。
中国は儒教の国です。
儒教というのはココロガケの教えであって、道徳の意味にも近いものだ。その中には「孝」という考え方があって、「親を大切にしよう!」と説かれているのである。
更には儒教は「政治道徳である」でもある1ので、その人の行動すべてが政治的評価にかかわってくるのである。
すると…。
「親の死に目に駆けつけないなんて、なんという不孝者だッ!!」
「親を大切にしない不孝者が、何で国を治められるのか(反語)」
と、張居正を非難する反対派が台頭し、張居正バンザイの風潮は一気に危うい方向に流れ始めた。
1582年、張居正が亡くなって万暦帝が親政をはじめると、彼もコロッと掌を返して張居正を批難しはじめ、成果をすべて台無しにしてしまった。
結果、内憂外患で財政窮乏、重税策を採った挙句、反乱にて滅亡…と相成ってしまうわけである。
張居正が父の枕元に駆けつけていたら、なんか変わったんだろうか?
そんなことを考えてしまう、儒教の国の不思議な話であった。

  1. というか、もともと国を治めるための教えから始まってるからこっちが本質かもしれないが。 []