▼1077.1:カノッサ

カノッサの屈辱(Illustration:マスダ) 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世が、教皇グレゴリウス7世に謝罪するために雪の中で3日間裸足で立ちつくし、哀願したという珍事件。事件の名前や内容が印象深く、高校で習った世界史をすっかり忘れたという人でも、何となく頭の隅に残っているほどの言葉なので、10年ほど前には『カノッサの屈辱』という深夜のエンターテイメント番組があったほどである。ワタシも大好きだったので、ビデオにとってある方がいたら、是非ご一報いただきたい。
 それはさておき、カノッサの屈辱は結構シビアな政治事件である。
 教皇権拡大のなかで、ローマ教皇グレゴリウスと神聖ローマ皇帝の間の利害が衝突。教皇はひそかにノルマン人などの神聖ローマ皇帝敵対勢力と手を結び、じわじわと『対皇帝包囲網』を仕上げていく。一方諸侯が権力を持つバラバラ状態の神聖ローマ帝国を統一するという野望を持った若き皇帝ハインリヒ4世は、検地などを行って状況の掌握につとめた。その過程で、半独立状態にあったローマ教会の回復に乗り出したわけである。
 ハインリヒは独断で司教を次々任免、それを知ったグレゴリウスが「やめないとゆるさんもんね」と脅しの手紙を出す。それを見て今度はハインリヒが激怒し、グレゴリウス7世廃位宣言。逆にグレゴリウスはハインリヒ4世を破門・廃位を宣言。両者一歩も譲らずというにらみ合いの中、神聖ローマ帝国内の貴族諸侯が「こりゃチャンス」とばかりに動き出した。会議を開いて話し合いで決着しようと言い出したのである。
 会議に出席するのは、教皇と帝国内諸侯、つまり全部ハインリヒの敵である。そんなもんが開かれたら廃位決定だ。ハインリヒが迷っている内に、教皇は会議に出席するためにローマを出立。悩んだ末、ハインリヒは1077年1月、アペニン山中のカノッサに宿泊中のグレゴリウス7世を訪ね、自分の非を認めて詫び、嘆願の末ようやく破門をといてもらったのである。以上の経過をカッコヨク『聖職叙任権闘争』なんて呼ぶ。
 これは皇帝が教皇権に屈したということであり、この後、インノケンティウス3世の絶頂期に向かって教皇権はグングン伸張していくことになるのだった。