▼1119〜64:75代

崇徳天皇(Illustration:国守) 鳥羽天皇の第1皇子、母は待賢門院璋子。
 崇徳天皇のひいじいちゃん白河天皇が、ママの璋子に手を出して生まれたのが彼だという噂から、パパに嫌われていた不幸な人。
 5才で即位したが、パパが彼に無理に譲位を迫り、寵妃・美福門院(藤原得子)の子である第9皇子(当時生後3ヶ月)を崇徳天皇の皇太子にしてしまい、即位させて近衛天皇とした。近衛天皇が早世すると今度は、今様にうつつをぬかす彼の弟を後白河天皇として立ててしまう。
 崇徳天皇は不満に思うことも多かっただろうが、ちゃんとパパが死んでから保元の乱を起こすあたりがいじらしい。讃岐に流されてからは写経などして暮らしていたが、自分の血で写経し奉納しようとして許されず、以後、髪も爪も伸ばし放題の鬼のような形相で朝廷を恨み続け、46才で死んだ。
 遺体運搬中、白峰山裾で夕立に見舞われたため石の上に棺をおろしたところ、どろどろと血が流れ出「二十日経っても死にきってない」と人々をビックリギョーテンさせた…とか、清盛の死に関して崇徳天皇の仕業だ…ともいうが、「太平記」の中では、憤死した方々の中でも大魔王としてどーんといばって出てくるらしい。
 1868年、戊辰戦争に際し、崇徳天皇が悪さすると困るので、朝廷側が京都にご帰還願ったそうだ。死後705年目にして、ようやく京都に帰ってきた崇徳天皇であった。