▼1167〜1216:英王

ジョン王(Illustration:マスダ) 父親ヘンリ2世に溺愛されてお育ちあそばしたこのお坊っちゃまが世界史の教科書に登場するとき、必ず名前に続けて書かれるあだ名が「欠地王」(1199〜1216在位)。英語でさえJohn the Lacklandと書かれるくらいだから大変なことである。彼はフランス王フィリップ2世との戦争に敗れてフランス内の英領地をとられた上、カンタベリ大司教問題(名前は知っているがどんな問題だったのか知っている人は意外に少ない)で教皇と対立、怒った教皇インノケンティウス3世に破門され、慌ててイギリス全土を教皇に献上して破門を解いてもらった、という情けないていたらくなので、あだ名になっちゃっても仕方がないのだ。
 そんなジョンの悪政に対して、貴族たちは「王の独裁許すマジ」と言う内容の『大憲章(マグナ=カルタ)』を突きつけて承認させた。ところが一度は認めたこの大憲章を、ジョンはワガママにもあとで撤回しようとしたので、結局貴族に反乱を起こされてしまう。反乱討伐のさなか、彼は何を考えていたのか無性に桃が食べたくなった。食べたくなったので山ほど桃を用意して、次から次へと桃を食べた。するとあ〜ら不思議、ジョンは桃の食べ過ぎで胃腸を害して急死してしまったのである。
 桃の食べ過ぎが死因とは、ジョン欠地王の華々しい人生の有終の美を飾るにふさわしい死に様といえるであろう。(これはバカにしていっているのである。)