▼1283〜1317:7代目清和源氏棟梁

足利家時(Illustration:国守) 源義家 ※1 から数えて7代目の清和源氏 ※2 棟梁。足利尊氏の祖父。
 中世武士の二大勢力として源氏と平氏の対立は誰でも知っているはず。のちの武士社会では、「源平が交互に政権を執る」というジンクス ※3 が生まれるほど、お互いに仇同士のような関係にあった。そういった関係もこの頃からのことである。
 源氏が力をつけ始めたのは頼義・義家親子の頃のこと。前九年(1051〜62)・後三年(1083〜87)の役の軍功により板東武士のトップに躍り出た。そんな義家には息子が3人(下図)。
   ┌義親…─義朝─頼朝
 義家┼義国…┬義重(新田氏)…─義貞
   └義忠 └義康(足利氏)…─家時─貞氏─尊氏

 このうち義親が暴れ回ったため源氏勢力は衰退。義親追討で平正盛(清盛の祖父)が功をあげると平氏が台頭する。系図では鎌倉幕府を開いた頼朝につながるが、政権上は3代将軍実朝までで北条氏に取って代わられてしまった。
 また、義国の子供達がそれぞれ新田姓、足利姓を、その子供達は畠山、細川、今川などの姓を名乗るようになった。
 「子孫7代目に生まれかわり天下を取るであろう…」とした「義家の置文(遺言)」は本当にあったといわれている。しかし、七代目家時に天下なんてとれなかった。北条氏の力が圧倒的に強かったからである。
 大変なプレッシャーを感じ、悩んだ家時はその解決策として神様に「命がけのお願い」をしたのであった。「……三代のうちに天下を取らしめよ…」八幡大菩薩に祈願し、割腹自殺。そしてのちに、尊氏がその運命を背負い、祖父の願いを現実化したのであった。
 結果往来、長〜い目で見ればハッピーエンドだね。


※1八幡太郎義家といわれ、その武勇が評判であった。八幡太郎とは通称。石清水八幡神社で元服したのでそう呼んだ。彼は、後三年の役の時「雁の乱れ飛ぶのを見て敵の伏兵を知った」というあの伝説の義家である。
※2清和源氏とは清和天皇の末孫の源氏という意味。頼朝の頃からそう名乗り始めたという説がある。
※3(源氏) →(平氏)
  源義家 → 平正盛(清盛の祖父)
→ 源頼朝 → 北条時政・義時(政子の父兄、鎌倉幕府執権)
→ 足利尊氏→ 織田信長→豊臣秀吉(歴史学者談:例外中の例外(笑))
→ 徳川家康(江戸幕府)