▼1534〜82:戦国大名

織田信長(Illustration:国守) 幼名吉法師。ちょっと話がそれるが、妹はお市の方、その娘は淀君(茶々)である。
 1560年駿河の今川義元を桶狭間の合戦で敗り、1562年三河の徳川家康と同盟、尾張国を統一。
 1567年斎藤氏を滅ぼし美濃をとると、翌年足利義昭(のち室町幕府15代将軍)を奉じて入京。
 義昭は将軍職に就いた後、信長と不和になりいろんな人に信長を倒すよう働きかけた。武田信玄、浅井長政、朝倉義景、比叡山延暦寺、本願寺、毛利氏などなど。しかしこの人たちのほとんどすべてが信長によって滅ぼされるか、痛い目に合わされるかしている。
 さて、信長には正室として濃姫(斎藤氏の姫様)、心底から愛されたと言われる吉乃などがいたがそれぞれにあだ名が付いていたのだろうか?信長は豊臣秀吉のことを「サル」とか「ハゲねずみ」とかいうニックネームで読んでいたというのは有名な話であるが、まぁ、思った通りの名で呼びつけてしまうなんてすごい正直な人なんだね。
 ちなみにこの「おなべ」と呼ばれた側室の話題は『高台院日記』に書かれているそうな。私は読んだことないのでそれ以上は…。(高台院とは秀吉の正室おねのこと)