▼1618〜48:神聖ローマ帝国

三十年戦争(Illustration:マスダ) 宗教改革・宗教戦争の締めくくりとも言える三十年戦争は、世界史学習上「最初は宗教戦争、最後は政治戦争」と化していく課程を捕らえることが重要なポイント。
 神聖ローマ帝国の完全解体とプロイセンの台頭を導くきっかけとなるこの戦争、そもそものキッカケはベーメン(ボヘミア)地方の反乱から。ベーメン地方はもともとフス戦争なんか起こしたりして「反神聖ローマ帝国」って感じだったのだが、1617年に熱心な旧教派のフェルディナントがベーメン王に就任してしまった。このころのドイツの法律では「領主がその地方の宗教を決定する」ことになっていたため、当然旧教がおしつけられたが、ベーメン地方は熱心な新教派。そこで新しい長官を窓から放り出して反乱を開始、デンマーク・ノルウェー王のクリスチャン四世も加勢してくれたが、敗北してしまった。
 しかしその様子を見ていたスウェーデン王『北海のライオン』グスタフ・アドルフが新教側に立って侵入、一気に戦況を盛り返すも、ライオン自身は戦死してしまった。グスタフ・アドルフの戦死を知って、新教側は「こりゃまずいや」とドキドキしたのだが、その時、手をさしのべてくれた優しい人がいたのである。
 なんと、旧教国おフランス様である。ハプスブルク大嫌いの宰相リシュリューが「宗教より政治!」と決断、新教側に立って参戦したわけである※1
 最終的にはおフランスの協力が効いて、神聖ローマ帝国側に不利になり、1648年ウェストファリア条約で戦争終結となる。『神聖ローマ帝国の死亡証明書』とあだ名されるこの条約によって、ドイツは完全に解体していくことになるわけである。


※1 『フランスの参戦をもって三十年戦争は「政治戦争化」した』と教科書は言っている。