▼1646〜1709:江戸幕府第5代将軍

徳川綱吉(Illustration:国守) 3代家光の4男、家綱の養子となり将軍職を継いだ。
 江戸湯島に聖堂を建てそこに林家の私塾を移し学問所(のちに東京大学発祥地となる)とするなど、学問を好み朱子学を官学とした。また、自ら家来衆に講義することもしばしば。
 はじめ、堀田正俊を大老とし文治政治を行ったが、嗣子が死に、その原因が前世の殺生にあると聞くと、護持院の隆光の勧めに従い男子誕生を願って、生物殺生の禁令(生類憐れみの令)を出し社会を混乱させた。
 おまけに器量のない側用人柳沢吉保に実権を任せたため、そのまた器量のない勘定奉行荻原重秀の進言を聞き入れてしまうことになり、年貢は増すわ、悪貨は乱発するわ、もう踏んだり蹴ったりされたのはお百姓さんであった。