▼1684〜1751:江戸幕府第8代将軍

徳川吉宗(Illustration:国守) 紀伊徳川家出身。前将軍家継の遺言により将軍職を継ぐ。幕府の財政難を打開すべく米相場を牛耳りたがった米将軍。いまでは暴れん坊将軍といった方が知名度が高いかもしれない。「幕政全般にわたり改革を行い、“ある程度”幕府の支配体制の補強に成功」(日本史辞典:角川書店)
 そう、寂しいことに“ある程度”ね。
 「相対済し令」?、んー。
 「洋書解禁」?、うんうん。
 「目安箱」?、うんうん。
 「上米の制」?、んー。
 「足高の制」?、うんうん。
 「法令の編纂」?、うんうん。
 「五公五民」?、ぎゃー。
 全体的に頑張ってはいるんだけど、やっぱりその場しのぎになって終わった事が多いかなぁ。それまで禁止されていた洋書(キリスト教に直接関係しないもの)の輸入を解禁して見識を広め、「目安箱」を設置して民意を取り入れた。(※1)小石川養生所という病院を作ったり、いろは組(※2)を作り防火に努めた。
 公事方御定書ではお江戸の基本法規を定め、幕府封建体勢の確立を目指した。また、人材を広く登用するため「足高の制」を定め、それまで身分に応じてお給料が決まっていたのを(ある職種に限って)大変な職に就くとその職に充てたお給料分を加算してもらえるようになった。
 その頃の御家人達のほとんどが「内職をしないとやばいかなー」という状態でお金に苦労していた。当然借金している人も多くてそれを見かねて「相対済し令」を出したんだけども、これは「旗本・御家人の借金訴訟を取り上げないよ」、という法令。そして当然「踏み倒し」が横行して大ブーイング。結局数年後には廃止となった。
 こんな感じでお金に苦労していたのは何も旗本・御家人ばかりではない。幕府も然り。試しに「上米の制」(※3)を定めてみたけれど、御家人は弱る一方だし、農民達にしわ寄せがいった。どうもいかん。
 しかも、ここ数年は新田開発が進み、おまけに豊作でお米がじゃんじゃん穫れた。お米がうなるほどあるということはその価値が下がるということ。こりゃいかん。ただでさえ貧乏幕府なのにお米の価値が下がるということは入ってくる年貢の価値も下がってるってコトじゃないか。ううーむ。
 こうして吉宗の米相場介入作戦が始まった。なんとかお米の価値を上げるために少しでも相場に出回るお米の量を減らそうと頑張っていた、そんな矢先。西日本でイナゴ大発生。(享保の飢饉、1732)米価急騰。年貢増収(四公六民→五公五民)でくすぶっていた農民達が爆発、百姓一揆多発。翌年には江戸にも余波が。「打ちこわし」頻発。今まで頑張ってお米を買い占めていた吉宗は蔵から米を出し、被害の少ない地方からお米をまわしたりして急場をしのいだ。あ〜ぁ。
 こうしてこの後も吉宗の米相場介入作戦は続いてゆくのであった。


※1:この箱は将軍の目の前で開けられたから随分と民意を反映したような錯覚がするけど、実際は町人にそんな学者的なことは出来ないので、在野の学者などが投書したんだろうね。
※2:TV「暴れん坊将軍」でサブちゃんが棟梁を演じていた「め組」もそのひとつ。
※3:大名達に一定の割合で米を上納させるかわりに江戸滞在期間を短くしてあげた。(1722〜30)