▼1689〜1881

ロシアとの条約(Illustration:国守) 1689年のネルチンスク条約に始まり1881年のイリ条約までの一連の条約は、清の衰退を如実に表しており、ちょっと笑っちゃうほど劇的である。
 ネルチンスク条約(1689)では、ロシア側のピョートル大帝を向こうに回して、康煕帝時代の清ちゃんはかなり優位をせしめていた※。
 次のキャフタ条約(1727)は、モンゴル・シベリアの国境を確定するものだったが、ネルチンスクに比べて国境線はちょっと下げられ、通商の協定というおまけまでついてきた。
 ややや、と思っているウチにアイグン条約(1858)では、折角のネルチンスクの優位をひっくり返され、北の国境線をぐぐっと下げられ、北京条約(1860)では大事な沿海州をとられてしまった。イリ条約(1881)ではイリ地方の多くの領土を回復して一見もちかえしたかのように思えるが、利権を失っていたので、結局とどめを刺されたようなものだったのであった。
 結局、条約の度に清ちゃんの土地はロシアに持っていかれたわけで、待ったなしの世界とはいえ、さすがに清ちゃんが可哀想になる一連の条約である。


※このころはロシアの方が中国方面にあまり進出意欲がなく、むしろ黒海方面を攻撃するときの背後の安全のために結ばれた条約だから、割と簡単に清側の要請が通った、という見方もある。