▼1785〜1850:清朝政治家

林則徐(Illustration:マスダ) 高校の世界史ででは「アヘン廃棄を強硬に勧めてアヘン戦争を引き起こした人物」みたいなおバカさんの印象がある林則徐だが、今日の中国では『愛国者』『民族英雄』という評価が確立している、英雄的人物。
 19世紀初頭からのアヘンを中心としたイギリス・清・インドの三角貿易で、清朝から大量の銀が流出し、アヘンで民衆がどんどんバカになっていった。これに困った清朝政府内では「アヘンを許してむしろ関税をかけて財政難を克服すべきだ」という『弛緩派』と「何が何でもアヘンはまかりならん!」という『厳禁派』が激しく対立。その中で皇帝道光帝は「ボクはなんとなく厳禁派かなあ」という気分だったらしく、厳禁派・林則徐が欽差大臣(※1)として任命される。彼は早速広州へ赴き、アヘンを没収・廃棄、アヘン商人を追放した。これがアヘン戦争の直接の原因となるわけだ。
 アヘン戦争でボロクソに負けると、清朝側はすべての責任を林則徐に負わせて「彼を左遷して責任をとらせるから和解しようよ」という態度に出た。左遷先がド田舎のイリ地方(1842年)。ところがイリ地方では「客人」として厚遇され、開墾事業を行って功績を挙げ、1845年には罪を許された形になっている。
 1849年には一応引退したにもかかわらず、太平天国の乱で動揺した清は再び林を欽差大臣に起用、討伐を期待したが、残念ながら太平天国軍に出会う前に途上で病死してしまった。
 そんなわけで、高校の世界史で習う『林則徐』しか知らないヒトは、中国へ行ってうっかり「あのアヘン戦争を起こしたバカなヒトね」なんて言わないように。大変なことになるかもしれないから。


※1 特定の任務を帯びて皇帝から臨時に権限を与えられた全権大使。「アヘンに関しては全部コイツに任せた!」みたいな大役だね。