▼1835〜1924:藩閥政治家
紙幣整理・兌換制度の確立・日本銀行の創設などにより近代的信用制度及び天皇制国家財政の確立を図った(松方財政)。その制作の裏では多くの農民が小作人に落ちぶれるなど、急速な階級化が目立った。
第1次内閣(1891.5〜92.7)成立直後に大津事件で泣かされ、第2次内閣(1896.9〜97.12)では外相に大隈重信を迎え(松隈内閣)、日清戦争で得た賠償金で金本位制を確立した。
子供が何人いたか知らんが、とりあえず左のエピソードがあったことは事実らしい。よっぽど政務に忙しかったんだろうが、ひょっとして、もしかしたら、本当に判んないほどたくさん、内や外に子供がいたのかもしれない。全国の農民さんが地租改正で泣いているときになんてヤツ。
松方正義といえば「松方デフレ」と呼ばれるくらいにその財政政策が有名。経済学者からはよく研究されている分野である。最近の日本も「失われた10年」と呼ばれ、長引く不況に平成デフレが絡まって、小泉首相の三位一体の改革とは何なのか?論議が高まっている。
私には「三位一体」=「宗教単語」なのだけど…。純ちゃんの場合は…?。
実際に松方正義は、本人が正確な人数を忘れてしまうほど子沢山の人物でした。政務に忙しすぎたというわけではありません。また明治天皇の松方評は「松方は鈍いところがある」だったそうです。