▼1879〜1926:123代天皇
第123代天皇:在位1912〜1926、
お名前:嘉仁(よしひと)、称号(幼名):明宮(はるのみや)。
生まれつき病弱のため、実際に政務を執ることはなあまりなかったようである。1921年皇太子裕仁(昭和天皇)を摂政に立てて、お仕事をするようになった。病気のせいでうまくお話しすることが出来なかったが、詩歌には優れていらしたらしい。
左は国守の学友であるT女史と国守との会話の中に現れた一説である。T女史によれば詔勅をくるくると丸め侍従の頭を、ぽんぽん、とお戯れになったという噂があるとのこと。そして、更にこの後T女史の話は深まって行くわけだが、その辺は省くことにする。
ちなみに、歴代天皇のご遺体は柩に収められ、八瀬童子と呼ばれる人たちによってかつがれ運ばれるらしいが、昭和天皇の時にはその依頼が来なかったそうな。(大正天皇のときは、115名選ばれた。)
八瀬童子については国守の宿題としておこう。
詔勅を丸めた事件は、国会での事件ですが、大正天皇ご自身が側近く仕える女官にお話しになられたところによると、詔勅を丸めて遠眼鏡のように眺めた理由は、覗いて中の字を見ることで詔勅が上下さかさまになっていないか御確認なされたということです。大正天皇からお話を聞かれた女官自身が、この証言を残していて、巷間で言われているような噂になってしまったことをその女官は死ぬまで残念に思っていました。